ヤ サ シ イ セ カ イ 9
表でも言いましたがコミケお疲れ様でした
書籍版ヤサシイセカイはおかげさまで完売しました
ファンタジーなダークTS系のお話です
シスターになった少年エルフの予定でしたが某所のフェスティバル作品がグワー!!な感じで
自分も憑依を書きたくなったので、大臣のターンです
そんなわけで
第二王女ナクア姫が大好きな悪徳大臣による憑依物語です
ヤ サ シ イ セ カ イ ~ソウルイーター 2
ドラウザの興奮はいまだに冷めやらなかった。
あれから……ナクア姫の肉体を一瞬とはいえ乗っ取った至福の時間から一夜明け、天窓から漏れる朝日が地下書庫に差し込む時刻になっても、ドラウザの唇はだらしなく歪められ、鼻息は荒く、頬もたるんだままだった。
両手には昨晩発見した魔道具【ソウル・イーター】がある。漆黒の装丁をした分厚い書物は朝になっても消えることなく、しっかりとドラウザの手元に残っていた。
これを使えば、どんなことでも出来る。しかし奇跡を起こすマホウの書とはいえ、破り取ったページが再生するということはなく本の厚みは確実に減っていた。
つまりこの魔道具には、回数制限がある。気の向くままに使えば、あっという間にページが尽きるだろう。
最良の選択をすべく、ドラウザは一晩を使って考えに考え────教会が朝を告げる鐘を鳴り響かせた瞬間、電撃のように計画が舞い降りた。
「まずは……あの忌まわしいエルフ女に、報いを受けて貰うとするか」
思い浮かんだのは人間であるドラウザを見下し、上司気取りでいるマギカの顔だ。地下書庫には人目もなく、ソウルイーターを試すには非常に都合のいい場所だった。
「ぐふふ……では早速」
ページを破り取り、口に含む。
あごを動かすたびに、歯と歯の間にカビの臭いがあふれ出した。
(ぐっぬ……うげっ)
吐き気を堪えつつ何とか飲み下し、体中の血液が沸騰するような感覚に襲われる。
ノドを掻きむしりたくなるほどの疼きを覚え、首元に爪を立てる。
胃袋から迫る強烈な嘔吐感が、一気に唇の内側にまで込み上がった。
「うげ……ぐげええええええええええ!!」
地獄の亡者か、さもなくば豚の断末魔のごとき声を上げ、ドラウザが再びマホウを使う。
意識が口腔から吐き出され、身体感覚の全てが喪失する。醜く肥えた肉体は白目を剥き、自らの手でノドを傷付ける格好のままドサリと床に倒れた。
(ぐ、ぐは……ふぅ、ふうううう……)
魂と肉体を分離させることに成功し、徐々に呼吸を慣らしていく。しかし先ほどまでの苦痛の時間を思い返したのか、ドラウザは苦い顔をした。
ソウルイーターは強力な魔道具だが、使う時に降りかかる吐き気は何度やっても慣れそうに無い。それに抜け殻になった元の肉体を放置するのも危険だろう。
もし書庫に人が訪れて、廊下に寝転がる自分の姿を見られでもしたら不審に思われる。最悪なのは、黒い本が王の渇望する魔道具だと知られ、没収されることだ。
(おいおい考えぬとな……)
今後の課題を頭の片隅に置き、半透明になったドラウザは立ち上がると同時に、宙に浮かぶ。
空を飛び、広大な書架の森が一望できる光景に万能感が刺激される。
いまの自分に出来ないことなど何もない。元の肉体に対する悩みはすっかり消え失せ、彼は司書の座るカウンターへ向かった。
地下書庫の最奥エリアから数秒と掛からずカウンターに辿り着き、二人の女が話しているのを見つける。
一人は銀髪のエフル、もう一人は近衛騎士の制服を身にまとった若い女だ。
「──なので、あなたはもうそれを使うことが出来ません」
「構わねぇよ。じゃあな」
制服姿の少女は見た目にそぐわない荒っぽい口調でマギカと別れ、ニヤニヤしながら地上に続く階段を上がっていった。
こんな朝早くから、騎士とエルフが密談めいた会話をしていることに奇妙なものを覚えるが、しかしドラウザの目的は何も変わらない。
エルフ種の外見は総じて優れているのが通説であり、マギカも例に違わず美しい容姿だった。
(光栄に思え忌まわしきエルフよ。このワシが、貴様の肉体を利用してやろう)
半透明だったドラウザの姿が徐々に黒く染まり、影のように揺らめく。
司書の真上に浮かび、霊体の高度を下げていくと目にもまぶしい銀髪が近づいてきた。
女の背中に、自分のつま先が沈む。
その間際だった。
「おはようございます。ドラウザ様」
侵蝕を始めるはずだった魂の動きがピタリと止まり、この場に出る理由のない名前を囁いたマギカがくるりと反転する。
緋と金。それぞれ色の異なる双眸は、空中を……ドラウザを、見つめていた。
「まさか一晩でソウルイーターを発見し、ご使用なされるとは思いませんでした。……それで? そのマホウの力で何をなさいます? 私の肉体を奪い辱めますか? それとも、愛しき姫君の元へ?」
(魔道具のことを知って……! い、いや、もはやそんなことはどうでも良い!)
司書にはおそらく自分の姿が見えている。それどころか魔道具を使ったことも、これからの計画も、全てを把握しているような口振りだった。
しかし、だからどうだというのだ。霊体を捕らえることなど出来はしないし、乗っ取っられてしまえば抵抗もできない。
望み通り、そのカラダを奪い口封じするべきだ。ドラウザはそう思い直した。
「その通りです。私は今のあなたから自衛する手段を持ちません。ドラウザ様が私の中に飛び込み、カラダの主導権を奪い、女の尊厳を、そして命を刈り取ろうと仰るのなら、それを受け入れるしかないのです」
(ぐっ!)
マギカはあくまでも無表情に、無感情に、そして見透かしたように語りだす。
違和感を覚えるほどにあけすけな態度は逆に警戒を呼び、ウカツに乗っ取ることをためらい始めた。
ドラウザは腐っても王国の高官であり、言葉による権謀術数は多く経験している。その経験値が、マギカを不気味な存在として担ぎ上げていた。
堂々としすぎている。何か、裏があるのでは? そう考えてしまう。
「しかし、良いのですか?」
(何?)
「私の知識が、ドラウザ様には必要かと。魔道具【ソウルイーター】の特性、知りたくは無いですか?」
(…………)
それは、命乞いだったのだろう。
知っていることを全て話すから、命は助けてくれという台詞と同義のはずだった。
なのにこの女は恐慌するでもなく、淡々と、冷静に、冷徹に、対等な立場からの取引であるかのように喋る。
余裕を感じさせる態度が、ますます相手を不明瞭なものにした。
「私の言葉に価値ありと感じましたら、お体に戻って再びここへいらしてください。お待ちしていますよ」
言いたい事を言い切ったのか、マギカは宙に浮くドラウザから視線を外し再び背を向けた。
隙だらけの背中に飛び込みそのカラダを支配しようという思惑まで見透かされているような気がして、ドラウザはしぶしぶ自分の体へと引き返すのだった。
*
「さて、まずは何から話しましょうか」
贅肉を溜め込んだ重い体を揺らしながら、ようやく辿り着いたカウンター机で感情の篭らない平坦な第一声に出迎えられる。
ゼェゼェと息を乱す人間を前にして、マギカは労いの言葉一つすらかけてこない。世界中から差別されるエルフでありながら、彼女は人間におもねることはしなかった。
ドラウザにとっては、不遜以外の何ものでもない。
「そうですね、ドラウザ様から質問はありませんか? 私にわかることなら、全てお話しますが」
「ふん……っ。では聞いてやろう。なぜワシの姿が見えた?」
「私が持つ魔道具の力です」
質問の内容を予測していたかのような、無機質な即答だった。
マギカは両方で色彩の異なる瞳の片方を指差し、ポツリポツリと解説書でも読み上げるように種明かしをしていく。
「私が『エフル』だからか、みなさん大して気に止めていらっしゃらないようですが……この眼、奇妙だとは感じませんか?」
両目の色が違う人種などそうはいない。しかし彼女の言う通り、銀髪の隙間から突き出た鋭く長い耳にばかり人々の関心は寄せられ、その瞳だけが不自然であると取り沙汰されることはほとんど無かった。
灼熱の炎よりもなお赤い、血の色にも似た深紅に染まる『義眼』こそが、魔道具【リアライズ・アイズ】であるとも知らずに。
「他の魔道具を鑑定するための魔道具……とでも言いましょうか。たとえば何の変哲も無い銀の指輪が、実はカラダを交換する魔道具であると見破る事が出来ます。使用法も含めて、一瞬でその特性を理解できるのです」
「ほぅ……ジュバール王にしてみれば、ノドから手が出るほど欲しい道具だな」
旧文明の遺物蒐集に余念の無い国王ではあるが、実際に手に入れた魔道具はごくわずかだ。官吏だったドラウザも蒐集の命を受けたが、結局手がかり一つつかめなかった。
「私はこの眼を使い、魔道具を蒐集しています。もちろん、国王はこのことを知りません」
「ふん、クーデターでも起こすつもりか?」
「必要とあれば」
冗談を言っている風ではなく、しかし真剣そのものであるとも思えない口調のまま、マギカはすらすらと答えていく。いったい何を考えているのか、彼女の真意は会話を重ねれば重ねるほど闇に隠れていくようだった。
「……ソウルイーターの特性とやらを教えてもらおうか」
ドラウザは頭を切り替え、自分の持つ魔道具についての情報を引き出すことにした。
教会が唱える聖書の一節には【ゴースト】という怪物が登場する。
肉体を失った魂のみの存在で、誰の目にも映らず、空を飛び、壁も床もすり抜けることの出来るらしい。ソウルイーターを使ったドラウザの状態はまさしくその【ゴースト】と酷似していた。
「あの魔道具は、使用した人間をゴーストに変える。そうだな?」
「ご明察です。そしてゴーストへと変化した人間は、生きている人間に取り憑き肉体を操る事ができます。憑依、と私は呼んでいます」
「憑依か……」
昨晩、ドラウザはナクア姫の寝室へ侵入し、姫とカラダを重ね合わせた。小さな唇にキスをして、華奢な体躯を抱き締め、気が付いたときには姫の肉体を思うまま動かす事が出来た。
あれが憑依だとすれば、確かに素晴らしい能力だ。しかし問題もある。
「すぐに元の体に戻ってしまっては、何も出来んな」
姫の中に入ったのもつかの間、あの可愛らしいネグリジェを脱ぎ捨てる前にドラウザは元の薄汚い体に戻ってしまった。
憑依がいくら万能とはいえ、効果が一瞬では楽しむ暇もない。
「ご心配には及びません。同じ対象に繰り返し憑依することで、支配する時間は徐々に長くなります。相手の魂をじわじわと侵食し、回数を重ねるごとに心があなたに取り込まれ、塗り替えられていく。……魂食らいの名に恥じない、マホウの力です」
「……ぐふふ、なるほどな」
姫の心が自分の色に染まる。そう考えると、ドラウザの股間は期待にむくむくと膨らみ、醜悪な笑みを漏らした。
「ただし一つだけご注意ください。ソウルイーターの使用は元の肉体に大変な負荷をかけます。ですので、連続しての使用はお勧めしません」
「よかろう」
ソウルイーターを使った直後から来る嘔吐感を連続して味わうのは、ドラウザとしても避けたいところだった。
一回の使用で最低数時間の休憩を挟まなければ、とても耐えられないだろう。
「ご理解いただき何よりです。それでは、仕事を始めてください」
言い終わるや否や、マギカはどこにしまっていたのか、長机の上に大量の書籍をドンッと積み上げた。
「こちらの本を、全て34Cエリアに収納してください」
「貴様……魔道具を持つワシを、いまだにアゴで使おうというのか?」
「魔道具の件に関しては一定以上の敬意を払います。しかしここでのドラウザ様はあくまでも、私の、部下、ということですので」
わざとらしく言葉を区切り、マギカの冷たい眼がドラウザを見下す。
真意の見えない不気味な女だが、エルフにそのような眼差しを向けられるのは“人間”であるドラウザのプライドを逆撫でするには充分だった。
「貴様に憑依し、自殺してやっても良いのだぞ?」
「そのときはそのときです」
脅しをかけても、マギカはあくまでも平然とした態度を変えない。自分の命にすら無頓着であるといわんばかりだ。
「ですが、抜け殻になった肉体を放置するのは、あまりいい気分だとは思えませんが?」
「……ふんっ、小賢しい!」
こちらの懸念を見透かしたような台詞だった。
ドラウザは口弁でマギカの優位に立つことを諦め、仕方なく机の上の本に手を伸ばす。
カウンターの脇に置いてあった台車に、昨日と同じようにどんどんと積み上げていく。マギカは既に着席をして、手元の冊子をめくり始めていた。
「……一応聞いてやろう。貴様はいったい、何をするつもりだ?」
世界を変えることのできる魔道具の存在を知り、魔道具の正体を見極める目を持ちながら、人間から虐げられるエルフのやっていることは閑職である王国書庫の管理人だ。
本当の話をするとは限らない。嘘の可能性は充分にある。
だが、それでも訊かずにはいられなかった。
「お前は、何を望んでいる?」
「…………」
マギカは書物から目を離すことなく。
ページをめくるついでのように、何気なく。
切望しているようでも大志を抱いているようでもなく、さらりと言ってのけた。
「マホウ文明の復活です」
***
男が立ち入ることを許されない部屋が、この世にはいくつも存在する。
そのうちの一つが、騎士団の利用する更衣室だ。
アトラ近衛騎士団は隊長一名を除き、ほとんどが18前後の少女で構成されている。ドラウザにしてみれば、力のない女が図々しくも騎士を名乗りいい気になっているふざけた集団だった。
「今日のリタ、なんか変だったよねぇ」
「ねー。うちら騎士団が卑怯者とかマジありえないんだけど」
甲冑を脱ぎ、制服に着替える女騎士たちはドラウザの侵入に正体に気付くことなく、下着姿のままお喋りに興じている。
(ふん、くだらぬ……)
若い女のあられもない姿が視界一面に広がっていようと、大臣のムスコはまったく反応しなかった。
第二王女ナクア姫こそが至高であるとするドラウザにとって、今の状況はあくまでも情報収集のためでしかないのだ。
時を少しさかのぼり、地下書庫での仕事を終えたドラウザはマギカに今後の方針を打ち明けた。
『犯人を見つけるぞ』
『犯人?』
『うむ。そもそもこんな場所に身をやつすことになった原因は、何者かがワシの秘密を漏洩したからに他ならん。でなければ、貴様のような者にアゴで使われることもなかっただろう』
『まぁ、確かに。ですがそのおかげであなたは魔道具を手に入れる事が出来たのでは』
『それはそれだ。ワシはワシをコケにした者を許さん。必ず見つけ出し、報復してやる』
『……では、まずは騎士団の更衣室がお勧めです。少女達の情報量は決して侮れませんよ』
そんな会話を経て、マホウの力を使い魂だけになったドラウザは女騎士の集まる更衣室へと侵入をした。
マギカの言葉通り、少女らの口からは呆れるほど多くの噂話が立ち上がる。ただその内容は裏付けもなく、発展性すら皆無の感情に任せた会話がほとんどだった。
犯人の手がかりなど、全く期待できそうもない。所詮はエルフの浅知恵かと諦めかけた、そのときだ。
「そういえばさ、どうしてあのブタ大臣が地下送りになったか、知ってる?」
「ナクア姫の下着とか盗んでたからでしょ? 死ねばいいのに」
「そうなんだけどね。その話をしたのって、お付きのメイドが最初だったらしいよ」
「大臣の? へー、メイドに裏切られたんだぁ。ウケル~」
(何がおかしい! 騎士気取りのサル女が!)
甲高い声で鳴く口さがない女騎士に激昂しながらも、ドラウザは降って湧いた有益な情報に驚いていた。
お付きのメイド。名前は特に覚えていないが、髪を切りそろえた小柄な娘の姿はハッキリと脳裏に浮かび上がった。
(ヤツが……!)
女騎士の漏らす情報に正確性などない。それがわかっていても、使用人に裏切られた可能性を考えるだけでドラウザの魂はみるみる怒りに燃え上がった。
(許さんぞ……許すものか!)
入って来たときと同様に、誰の目にも咎められることなく更衣室を飛び出す。
天高く舞い上がり王城の敷地を見据えると、何人もの兵士や使用人が行き交う姿を捉えた。
遥か彼方から見下ろしているはずなのに、その一人一人の顔が至近距離で覗き込んだように判別できる。
城から出て行く制服姿の少女騎士に、門番。垣根を手入れする庭師に、難しい顔を付き合わせる高官たち。
その中に、見覚えのある顔を見つけた。
自分が大臣だった頃に取り立てたメイドの少女と、衛兵の制服を着た若い男だ。
ドラウザは空に近い位置から降下し、二人の頭上付近を浮遊する。
二人は逢引をする恋人のように、人目を忍び、抱き合い、口付けを交わしていた。
(この男、あのときの……!)
衛兵は、ドラウザの部屋を強襲した男だった。たった一日前の出来事なのにずいぶん昔に感じるが、決して忘れたことは無い。
自分を追い詰めたと噂される女と、実際に追い詰めた男が裏で繋がっている。メイドの裏切りを確信するには、充分すぎる光景だった。
「なぁ……いいだろ?」
「こ、こんなところで……だめ、人が来ちゃう」
メイドと衛兵はすぐ傍でドラウザが聞いているとも知らず、ベタベタとお互いの身体を擦り付けながら睦言を交わしている。
他人のまぐわいを見る趣味もない。ドラウザは空中から更に下降し、メイドの真後ろに降り立つと、その無防備な背中めがけて両手をさし伸ばした。
「うっ……」
ずぶりと、自分の腕が抵抗無く人体の中に潜り込む。と同時に、違和感を覚えたのかメイドが苦しげな声を漏らした。
だが異変を感じたところで、女には何も出来ない。背後に立つ霊体が既に二の腕から肩口まで侵入し始めていようと──恋人を抱きしめる両腕の感覚が喪失しようとも──彼女は恐怖し戸惑い、短い呻き声を上げることしか出来なかった。
*アド
「あっ……あぁ……っ、い、いや……ッ」
「アド?」
恋人の男が怪訝そうに自分の名を呼ぶ。いつもならば囁かれるだけで幸せになれる彼の声も、アドの耳には届かなかった。
見えない何かが身体の中に這入り、自分自身が別のものに塗り替えられていく。その恐怖と不快感に、しかしどうすることも出来ずひたすら戸惑うだけだ。
やがて、大男に押しのけられるような衝撃と共に、彼女の意識が背面に追いやられる。
五感が遮断され、肉体の中にいながらにして一歩後ろへ退いたような不思議な視点だった。
(なに……身体が、動かない……)
「ぐ……ぐふ、ふ……」
アドの声が、己の意識しない言葉を漏らす。だが彼女は自身を制御する事が出来なかった。
恋人を抱く腕がするりと離れ、衛兵の腰に差さった刀剣の柄を握り。
男が警戒すると同時に鞘から抜き取り。
「おいおい、何の冗だ」
苦笑いを浮かべてたしなめようとした、彼のノド元に刃を向け。
迷うことなく切っ先を突き立てる『アド』の行動を、アドは抑える事が出来なかった。
「っ……!?」
愛を囁き、先ほどまで触れ合っていた唇から、真っ赤な液体が吐き出される。
持ち主の首元を深々と貫いた鋼色の刀剣は刺し口の隙間から漏れる赤々とした血を吸い、色鮮やかな深紅に染まっていた。
「なん……で……」
震える声で呟く彼女は、自身が感覚を取り戻していることに気付いた。
それは、最悪のタイミングだったといえる。血の臭いを間近で嗅ぎ、肉をえぐる手応えを感じ取り、かすれた恋人の声がまもなく掻き消え、虚ろな目と視線を交わらせていたのだから。
「うそ……いや……どうして……!」
何が起こったのかわからない。
しかし確実に言える事は──自分が恋人を殺してしまったという、事実のみだった。
「い……いやああああああああああああああああああ!!!!」
*ドラウザ
目を覚ますと同時に、地上から女の絶叫が聞こえてきた。
おそらくあのメイドの悲鳴だろう。自らあの場に他の人間を呼び寄せるなど、バカな真似をするものだとドラウザは鼻で笑った。
「お戻りになられましたか」
扉が開き、マギカが入ってくる。
彼女の協力を取り付けたことで、ドラウザは地下書庫の食料室を使う事が可能になった。
マギカ以外の出入りはほとんど無く、これで抜け殻になった肉体の問題はほぼ解決したと言って良いだろう。
「どうやら、目的は成し遂げられたようですね。おめでとうございます」
「ふん、これが目的だと? 勘違いするな」
自分を陥れた犯人を見つけ、その恋人を殺し、殺人の罪を負わせてやった。
しかし仮に犯人が見つからずとも、もともと一回で切り上げるつもりだった。“こんなこと”は、ただの余興にしか過ぎない。
「ワシの目的は、最初から一つだけだ」
可憐であり佳麗であり優美であり、世界の寵愛を一身に浴びてしかるべき第二王女ナクア。
王国有数の高官に上り詰めようとも、彼女の古着を隠し持ち愛でるのがせいぜいだった高嶺の花が、今まさに手に届くところにある。
「ナクア姫の、全てを手に入れる」
昂揚とした気持ちが表情としてそのまま滲み出し、これから始まる愉悦の日々に熱い吐息を漏らす。
欲望に満ちた笑みを浮かべるドラウザに、マギカは感情の篭らない声で「期待しています」とだけ言った。
次こそシスターを
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書籍版ヤサシイセカイはおかげさまで完売しました
ファンタジーなダークTS系のお話です
シスターになった少年エルフの予定でしたが某所のフェスティバル作品がグワー!!な感じで
自分も憑依を書きたくなったので、大臣のターンです
そんなわけで
第二王女ナクア姫が大好きな悪徳大臣による憑依物語です
ヤ サ シ イ セ カ イ ~ソウルイーター 2
ドラウザの興奮はいまだに冷めやらなかった。
あれから……ナクア姫の肉体を一瞬とはいえ乗っ取った至福の時間から一夜明け、天窓から漏れる朝日が地下書庫に差し込む時刻になっても、ドラウザの唇はだらしなく歪められ、鼻息は荒く、頬もたるんだままだった。
両手には昨晩発見した魔道具【ソウル・イーター】がある。漆黒の装丁をした分厚い書物は朝になっても消えることなく、しっかりとドラウザの手元に残っていた。
これを使えば、どんなことでも出来る。しかし奇跡を起こすマホウの書とはいえ、破り取ったページが再生するということはなく本の厚みは確実に減っていた。
つまりこの魔道具には、回数制限がある。気の向くままに使えば、あっという間にページが尽きるだろう。
最良の選択をすべく、ドラウザは一晩を使って考えに考え────教会が朝を告げる鐘を鳴り響かせた瞬間、電撃のように計画が舞い降りた。
「まずは……あの忌まわしいエルフ女に、報いを受けて貰うとするか」
思い浮かんだのは人間であるドラウザを見下し、上司気取りでいるマギカの顔だ。地下書庫には人目もなく、ソウルイーターを試すには非常に都合のいい場所だった。
「ぐふふ……では早速」
ページを破り取り、口に含む。
あごを動かすたびに、歯と歯の間にカビの臭いがあふれ出した。
(ぐっぬ……うげっ)
吐き気を堪えつつ何とか飲み下し、体中の血液が沸騰するような感覚に襲われる。
ノドを掻きむしりたくなるほどの疼きを覚え、首元に爪を立てる。
胃袋から迫る強烈な嘔吐感が、一気に唇の内側にまで込み上がった。
「うげ……ぐげええええええええええ!!」
地獄の亡者か、さもなくば豚の断末魔のごとき声を上げ、ドラウザが再びマホウを使う。
意識が口腔から吐き出され、身体感覚の全てが喪失する。醜く肥えた肉体は白目を剥き、自らの手でノドを傷付ける格好のままドサリと床に倒れた。
(ぐ、ぐは……ふぅ、ふうううう……)
魂と肉体を分離させることに成功し、徐々に呼吸を慣らしていく。しかし先ほどまでの苦痛の時間を思い返したのか、ドラウザは苦い顔をした。
ソウルイーターは強力な魔道具だが、使う時に降りかかる吐き気は何度やっても慣れそうに無い。それに抜け殻になった元の肉体を放置するのも危険だろう。
もし書庫に人が訪れて、廊下に寝転がる自分の姿を見られでもしたら不審に思われる。最悪なのは、黒い本が王の渇望する魔道具だと知られ、没収されることだ。
(おいおい考えぬとな……)
今後の課題を頭の片隅に置き、半透明になったドラウザは立ち上がると同時に、宙に浮かぶ。
空を飛び、広大な書架の森が一望できる光景に万能感が刺激される。
いまの自分に出来ないことなど何もない。元の肉体に対する悩みはすっかり消え失せ、彼は司書の座るカウンターへ向かった。
地下書庫の最奥エリアから数秒と掛からずカウンターに辿り着き、二人の女が話しているのを見つける。
一人は銀髪のエフル、もう一人は近衛騎士の制服を身にまとった若い女だ。
「──なので、あなたはもうそれを使うことが出来ません」
「構わねぇよ。じゃあな」
制服姿の少女は見た目にそぐわない荒っぽい口調でマギカと別れ、ニヤニヤしながら地上に続く階段を上がっていった。
こんな朝早くから、騎士とエルフが密談めいた会話をしていることに奇妙なものを覚えるが、しかしドラウザの目的は何も変わらない。
エルフ種の外見は総じて優れているのが通説であり、マギカも例に違わず美しい容姿だった。
(光栄に思え忌まわしきエルフよ。このワシが、貴様の肉体を利用してやろう)
半透明だったドラウザの姿が徐々に黒く染まり、影のように揺らめく。
司書の真上に浮かび、霊体の高度を下げていくと目にもまぶしい銀髪が近づいてきた。
女の背中に、自分のつま先が沈む。
その間際だった。
「おはようございます。ドラウザ様」
侵蝕を始めるはずだった魂の動きがピタリと止まり、この場に出る理由のない名前を囁いたマギカがくるりと反転する。
緋と金。それぞれ色の異なる双眸は、空中を……ドラウザを、見つめていた。
「まさか一晩でソウルイーターを発見し、ご使用なされるとは思いませんでした。……それで? そのマホウの力で何をなさいます? 私の肉体を奪い辱めますか? それとも、愛しき姫君の元へ?」
(魔道具のことを知って……! い、いや、もはやそんなことはどうでも良い!)
司書にはおそらく自分の姿が見えている。それどころか魔道具を使ったことも、これからの計画も、全てを把握しているような口振りだった。
しかし、だからどうだというのだ。霊体を捕らえることなど出来はしないし、乗っ取っられてしまえば抵抗もできない。
望み通り、そのカラダを奪い口封じするべきだ。ドラウザはそう思い直した。
「その通りです。私は今のあなたから自衛する手段を持ちません。ドラウザ様が私の中に飛び込み、カラダの主導権を奪い、女の尊厳を、そして命を刈り取ろうと仰るのなら、それを受け入れるしかないのです」
(ぐっ!)
マギカはあくまでも無表情に、無感情に、そして見透かしたように語りだす。
違和感を覚えるほどにあけすけな態度は逆に警戒を呼び、ウカツに乗っ取ることをためらい始めた。
ドラウザは腐っても王国の高官であり、言葉による権謀術数は多く経験している。その経験値が、マギカを不気味な存在として担ぎ上げていた。
堂々としすぎている。何か、裏があるのでは? そう考えてしまう。
「しかし、良いのですか?」
(何?)
「私の知識が、ドラウザ様には必要かと。魔道具【ソウルイーター】の特性、知りたくは無いですか?」
(…………)
それは、命乞いだったのだろう。
知っていることを全て話すから、命は助けてくれという台詞と同義のはずだった。
なのにこの女は恐慌するでもなく、淡々と、冷静に、冷徹に、対等な立場からの取引であるかのように喋る。
余裕を感じさせる態度が、ますます相手を不明瞭なものにした。
「私の言葉に価値ありと感じましたら、お体に戻って再びここへいらしてください。お待ちしていますよ」
言いたい事を言い切ったのか、マギカは宙に浮くドラウザから視線を外し再び背を向けた。
隙だらけの背中に飛び込みそのカラダを支配しようという思惑まで見透かされているような気がして、ドラウザはしぶしぶ自分の体へと引き返すのだった。
*
「さて、まずは何から話しましょうか」
贅肉を溜め込んだ重い体を揺らしながら、ようやく辿り着いたカウンター机で感情の篭らない平坦な第一声に出迎えられる。
ゼェゼェと息を乱す人間を前にして、マギカは労いの言葉一つすらかけてこない。世界中から差別されるエルフでありながら、彼女は人間におもねることはしなかった。
ドラウザにとっては、不遜以外の何ものでもない。
「そうですね、ドラウザ様から質問はありませんか? 私にわかることなら、全てお話しますが」
「ふん……っ。では聞いてやろう。なぜワシの姿が見えた?」
「私が持つ魔道具の力です」
質問の内容を予測していたかのような、無機質な即答だった。
マギカは両方で色彩の異なる瞳の片方を指差し、ポツリポツリと解説書でも読み上げるように種明かしをしていく。
「私が『エフル』だからか、みなさん大して気に止めていらっしゃらないようですが……この眼、奇妙だとは感じませんか?」
両目の色が違う人種などそうはいない。しかし彼女の言う通り、銀髪の隙間から突き出た鋭く長い耳にばかり人々の関心は寄せられ、その瞳だけが不自然であると取り沙汰されることはほとんど無かった。
灼熱の炎よりもなお赤い、血の色にも似た深紅に染まる『義眼』こそが、魔道具【リアライズ・アイズ】であるとも知らずに。
「他の魔道具を鑑定するための魔道具……とでも言いましょうか。たとえば何の変哲も無い銀の指輪が、実はカラダを交換する魔道具であると見破る事が出来ます。使用法も含めて、一瞬でその特性を理解できるのです」
「ほぅ……ジュバール王にしてみれば、ノドから手が出るほど欲しい道具だな」
旧文明の遺物蒐集に余念の無い国王ではあるが、実際に手に入れた魔道具はごくわずかだ。官吏だったドラウザも蒐集の命を受けたが、結局手がかり一つつかめなかった。
「私はこの眼を使い、魔道具を蒐集しています。もちろん、国王はこのことを知りません」
「ふん、クーデターでも起こすつもりか?」
「必要とあれば」
冗談を言っている風ではなく、しかし真剣そのものであるとも思えない口調のまま、マギカはすらすらと答えていく。いったい何を考えているのか、彼女の真意は会話を重ねれば重ねるほど闇に隠れていくようだった。
「……ソウルイーターの特性とやらを教えてもらおうか」
ドラウザは頭を切り替え、自分の持つ魔道具についての情報を引き出すことにした。
教会が唱える聖書の一節には【ゴースト】という怪物が登場する。
肉体を失った魂のみの存在で、誰の目にも映らず、空を飛び、壁も床もすり抜けることの出来るらしい。ソウルイーターを使ったドラウザの状態はまさしくその【ゴースト】と酷似していた。
「あの魔道具は、使用した人間をゴーストに変える。そうだな?」
「ご明察です。そしてゴーストへと変化した人間は、生きている人間に取り憑き肉体を操る事ができます。憑依、と私は呼んでいます」
「憑依か……」
昨晩、ドラウザはナクア姫の寝室へ侵入し、姫とカラダを重ね合わせた。小さな唇にキスをして、華奢な体躯を抱き締め、気が付いたときには姫の肉体を思うまま動かす事が出来た。
あれが憑依だとすれば、確かに素晴らしい能力だ。しかし問題もある。
「すぐに元の体に戻ってしまっては、何も出来んな」
姫の中に入ったのもつかの間、あの可愛らしいネグリジェを脱ぎ捨てる前にドラウザは元の薄汚い体に戻ってしまった。
憑依がいくら万能とはいえ、効果が一瞬では楽しむ暇もない。
「ご心配には及びません。同じ対象に繰り返し憑依することで、支配する時間は徐々に長くなります。相手の魂をじわじわと侵食し、回数を重ねるごとに心があなたに取り込まれ、塗り替えられていく。……魂食らいの名に恥じない、マホウの力です」
「……ぐふふ、なるほどな」
姫の心が自分の色に染まる。そう考えると、ドラウザの股間は期待にむくむくと膨らみ、醜悪な笑みを漏らした。
「ただし一つだけご注意ください。ソウルイーターの使用は元の肉体に大変な負荷をかけます。ですので、連続しての使用はお勧めしません」
「よかろう」
ソウルイーターを使った直後から来る嘔吐感を連続して味わうのは、ドラウザとしても避けたいところだった。
一回の使用で最低数時間の休憩を挟まなければ、とても耐えられないだろう。
「ご理解いただき何よりです。それでは、仕事を始めてください」
言い終わるや否や、マギカはどこにしまっていたのか、長机の上に大量の書籍をドンッと積み上げた。
「こちらの本を、全て34Cエリアに収納してください」
「貴様……魔道具を持つワシを、いまだにアゴで使おうというのか?」
「魔道具の件に関しては一定以上の敬意を払います。しかしここでのドラウザ様はあくまでも、私の、部下、ということですので」
わざとらしく言葉を区切り、マギカの冷たい眼がドラウザを見下す。
真意の見えない不気味な女だが、エルフにそのような眼差しを向けられるのは“人間”であるドラウザのプライドを逆撫でするには充分だった。
「貴様に憑依し、自殺してやっても良いのだぞ?」
「そのときはそのときです」
脅しをかけても、マギカはあくまでも平然とした態度を変えない。自分の命にすら無頓着であるといわんばかりだ。
「ですが、抜け殻になった肉体を放置するのは、あまりいい気分だとは思えませんが?」
「……ふんっ、小賢しい!」
こちらの懸念を見透かしたような台詞だった。
ドラウザは口弁でマギカの優位に立つことを諦め、仕方なく机の上の本に手を伸ばす。
カウンターの脇に置いてあった台車に、昨日と同じようにどんどんと積み上げていく。マギカは既に着席をして、手元の冊子をめくり始めていた。
「……一応聞いてやろう。貴様はいったい、何をするつもりだ?」
世界を変えることのできる魔道具の存在を知り、魔道具の正体を見極める目を持ちながら、人間から虐げられるエルフのやっていることは閑職である王国書庫の管理人だ。
本当の話をするとは限らない。嘘の可能性は充分にある。
だが、それでも訊かずにはいられなかった。
「お前は、何を望んでいる?」
「…………」
マギカは書物から目を離すことなく。
ページをめくるついでのように、何気なく。
切望しているようでも大志を抱いているようでもなく、さらりと言ってのけた。
「マホウ文明の復活です」
***
男が立ち入ることを許されない部屋が、この世にはいくつも存在する。
そのうちの一つが、騎士団の利用する更衣室だ。
アトラ近衛騎士団は隊長一名を除き、ほとんどが18前後の少女で構成されている。ドラウザにしてみれば、力のない女が図々しくも騎士を名乗りいい気になっているふざけた集団だった。
「今日のリタ、なんか変だったよねぇ」
「ねー。うちら騎士団が卑怯者とかマジありえないんだけど」
甲冑を脱ぎ、制服に着替える女騎士たちはドラウザの侵入に正体に気付くことなく、下着姿のままお喋りに興じている。
(ふん、くだらぬ……)
若い女のあられもない姿が視界一面に広がっていようと、大臣のムスコはまったく反応しなかった。
第二王女ナクア姫こそが至高であるとするドラウザにとって、今の状況はあくまでも情報収集のためでしかないのだ。
時を少しさかのぼり、地下書庫での仕事を終えたドラウザはマギカに今後の方針を打ち明けた。
『犯人を見つけるぞ』
『犯人?』
『うむ。そもそもこんな場所に身をやつすことになった原因は、何者かがワシの秘密を漏洩したからに他ならん。でなければ、貴様のような者にアゴで使われることもなかっただろう』
『まぁ、確かに。ですがそのおかげであなたは魔道具を手に入れる事が出来たのでは』
『それはそれだ。ワシはワシをコケにした者を許さん。必ず見つけ出し、報復してやる』
『……では、まずは騎士団の更衣室がお勧めです。少女達の情報量は決して侮れませんよ』
そんな会話を経て、マホウの力を使い魂だけになったドラウザは女騎士の集まる更衣室へと侵入をした。
マギカの言葉通り、少女らの口からは呆れるほど多くの噂話が立ち上がる。ただその内容は裏付けもなく、発展性すら皆無の感情に任せた会話がほとんどだった。
犯人の手がかりなど、全く期待できそうもない。所詮はエルフの浅知恵かと諦めかけた、そのときだ。
「そういえばさ、どうしてあのブタ大臣が地下送りになったか、知ってる?」
「ナクア姫の下着とか盗んでたからでしょ? 死ねばいいのに」
「そうなんだけどね。その話をしたのって、お付きのメイドが最初だったらしいよ」
「大臣の? へー、メイドに裏切られたんだぁ。ウケル~」
(何がおかしい! 騎士気取りのサル女が!)
甲高い声で鳴く口さがない女騎士に激昂しながらも、ドラウザは降って湧いた有益な情報に驚いていた。
お付きのメイド。名前は特に覚えていないが、髪を切りそろえた小柄な娘の姿はハッキリと脳裏に浮かび上がった。
(ヤツが……!)
女騎士の漏らす情報に正確性などない。それがわかっていても、使用人に裏切られた可能性を考えるだけでドラウザの魂はみるみる怒りに燃え上がった。
(許さんぞ……許すものか!)
入って来たときと同様に、誰の目にも咎められることなく更衣室を飛び出す。
天高く舞い上がり王城の敷地を見据えると、何人もの兵士や使用人が行き交う姿を捉えた。
遥か彼方から見下ろしているはずなのに、その一人一人の顔が至近距離で覗き込んだように判別できる。
城から出て行く制服姿の少女騎士に、門番。垣根を手入れする庭師に、難しい顔を付き合わせる高官たち。
その中に、見覚えのある顔を見つけた。
自分が大臣だった頃に取り立てたメイドの少女と、衛兵の制服を着た若い男だ。
ドラウザは空に近い位置から降下し、二人の頭上付近を浮遊する。
二人は逢引をする恋人のように、人目を忍び、抱き合い、口付けを交わしていた。
(この男、あのときの……!)
衛兵は、ドラウザの部屋を強襲した男だった。たった一日前の出来事なのにずいぶん昔に感じるが、決して忘れたことは無い。
自分を追い詰めたと噂される女と、実際に追い詰めた男が裏で繋がっている。メイドの裏切りを確信するには、充分すぎる光景だった。
「なぁ……いいだろ?」
「こ、こんなところで……だめ、人が来ちゃう」
メイドと衛兵はすぐ傍でドラウザが聞いているとも知らず、ベタベタとお互いの身体を擦り付けながら睦言を交わしている。
他人のまぐわいを見る趣味もない。ドラウザは空中から更に下降し、メイドの真後ろに降り立つと、その無防備な背中めがけて両手をさし伸ばした。
「うっ……」
ずぶりと、自分の腕が抵抗無く人体の中に潜り込む。と同時に、違和感を覚えたのかメイドが苦しげな声を漏らした。
だが異変を感じたところで、女には何も出来ない。背後に立つ霊体が既に二の腕から肩口まで侵入し始めていようと──恋人を抱きしめる両腕の感覚が喪失しようとも──彼女は恐怖し戸惑い、短い呻き声を上げることしか出来なかった。
*アド
「あっ……あぁ……っ、い、いや……ッ」
「アド?」
恋人の男が怪訝そうに自分の名を呼ぶ。いつもならば囁かれるだけで幸せになれる彼の声も、アドの耳には届かなかった。
見えない何かが身体の中に這入り、自分自身が別のものに塗り替えられていく。その恐怖と不快感に、しかしどうすることも出来ずひたすら戸惑うだけだ。
やがて、大男に押しのけられるような衝撃と共に、彼女の意識が背面に追いやられる。
五感が遮断され、肉体の中にいながらにして一歩後ろへ退いたような不思議な視点だった。
(なに……身体が、動かない……)
「ぐ……ぐふ、ふ……」
アドの声が、己の意識しない言葉を漏らす。だが彼女は自身を制御する事が出来なかった。
恋人を抱く腕がするりと離れ、衛兵の腰に差さった刀剣の柄を握り。
男が警戒すると同時に鞘から抜き取り。
「おいおい、何の冗だ」
苦笑いを浮かべてたしなめようとした、彼のノド元に刃を向け。
迷うことなく切っ先を突き立てる『アド』の行動を、アドは抑える事が出来なかった。
「っ……!?」
愛を囁き、先ほどまで触れ合っていた唇から、真っ赤な液体が吐き出される。
持ち主の首元を深々と貫いた鋼色の刀剣は刺し口の隙間から漏れる赤々とした血を吸い、色鮮やかな深紅に染まっていた。
「なん……で……」
震える声で呟く彼女は、自身が感覚を取り戻していることに気付いた。
それは、最悪のタイミングだったといえる。血の臭いを間近で嗅ぎ、肉をえぐる手応えを感じ取り、かすれた恋人の声がまもなく掻き消え、虚ろな目と視線を交わらせていたのだから。
「うそ……いや……どうして……!」
何が起こったのかわからない。
しかし確実に言える事は──自分が恋人を殺してしまったという、事実のみだった。
「い……いやああああああああああああああああああ!!!!」
*ドラウザ
目を覚ますと同時に、地上から女の絶叫が聞こえてきた。
おそらくあのメイドの悲鳴だろう。自らあの場に他の人間を呼び寄せるなど、バカな真似をするものだとドラウザは鼻で笑った。
「お戻りになられましたか」
扉が開き、マギカが入ってくる。
彼女の協力を取り付けたことで、ドラウザは地下書庫の食料室を使う事が可能になった。
マギカ以外の出入りはほとんど無く、これで抜け殻になった肉体の問題はほぼ解決したと言って良いだろう。
「どうやら、目的は成し遂げられたようですね。おめでとうございます」
「ふん、これが目的だと? 勘違いするな」
自分を陥れた犯人を見つけ、その恋人を殺し、殺人の罪を負わせてやった。
しかし仮に犯人が見つからずとも、もともと一回で切り上げるつもりだった。“こんなこと”は、ただの余興にしか過ぎない。
「ワシの目的は、最初から一つだけだ」
可憐であり佳麗であり優美であり、世界の寵愛を一身に浴びてしかるべき第二王女ナクア。
王国有数の高官に上り詰めようとも、彼女の古着を隠し持ち愛でるのがせいぜいだった高嶺の花が、今まさに手に届くところにある。
「ナクア姫の、全てを手に入れる」
昂揚とした気持ちが表情としてそのまま滲み出し、これから始まる愉悦の日々に熱い吐息を漏らす。
欲望に満ちた笑みを浮かべるドラウザに、マギカは感情の篭らない声で「期待しています」とだけ言った。
次こそシスターを

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