メイドと栞と退屈な書斎3
異世界を行き来する主人公の憑依物語です
チュートリアル終了です
3頁「真夏日の世界」
ミナツは憤りを抱えながら、林の中を滅茶苦茶に歩いていた。
突き出た枝に浴衣の袖をたびたび引っ掛け、履き慣れない下駄で土を蹴る速度はいつもの半分も出ていない。
昔から活動的で女らしい格好など滅多にしないが、今夜の夏祭りでは数年ぶりに浴衣を着た。それもこれも、一緒に来た少年に褒めて貰いたかったからだ。
女顔で小心者な自分の幼馴染を思い出し、再び苛立ちが湧き上がる。
「リョータのばか……」
立ち止まり、明るい紺の生地に朝顔の模様が散りばめられた真新しい浴衣を見下ろす。
幼馴染を連れ出し、浴衣姿のお披露目自体は成功した。だが、肝心の反応は期待していたものとは大きく異なった。
共通の友人の話で盛り上がり、夏休みの課題の進捗状況で共感し、恋人同士の穏やかで幸福な時間を過ごしながらミナツは彼を人目のない場所へと連れ込んだ。
恋人の手に指を絡ませ、お互いを無言で見つめあい、静かに目を伏せる。
だが唇に望み通りの感触はいつまで経っても訪れず、不審に思って目を開けると、リョータは美少女すら気後れしてしまうのではないかと思うほど愛らしく赤面していた
小動物のように震える恋人の姿に、女としてのプライドが打ち砕かれた気分だった。同時に、自分がここまでお膳立てしておきながら受身に走る彼に腹が立った。
リョータの性格は本人以上に熟知しているが、こんなときぐらい男らしく自分を求めて欲しい。そんな女心を踏みにじられた気分だ。
「バカバカ、バカッ、大バカ……!」
浴衣まで用意してめかし込んだ自分が惨めだった。キスから先までを考え、可愛らしい下着を厳選していた自分が痴女のように思えてくる。
暗い気持ちが重くのしかかり。
場違いなほど冷たい気配が、背筋にピタリと張り付いた。
「ヒッ!?」
冷気は浴衣を通り抜け、皮膚の下へと滑り込んでくる。
体内を満たす熱が塗り替えられ、侵蝕範囲が広がるにつれて手足がガクガクと痙攣する。
全身が虚脱感に包まれ、棒立ちのまま意識だけが薄れていった。
(あ……や……たすけ……リョ……タ……)
恋人がヒーローのように駆けつけることもなく、頭の中が真っ暗に染まる。
この瞬間、ミナツの人生は、彼女のものではなくなった。
「……ふむ」
ミナツは沈黙を破ると、先ほどと同じように浴衣姿の自分の体を見下ろした。
肩に流れるツインテールの片房を引き寄せ、物珍しそうに眺める。
くたびれたような目つきは活発だった印象を大きく変え、口端が薄く吊り上がることでますます彼女の持つ健康的な魅力から遠ざかる。
「あ、あのぅ。具合はいかがでしょう……?」
林の中からメイド服を着た女が現れ、遠慮がちに声を掛けてきた。
このような珍妙な格好をした知り合いなどいなかったが、ミナツは彼女らしくもない気だるげな口調で応じる。
「悪くない」
ミナツは……『掛川深夏』の人生に割り込んだマルクの意思は、ゴミでも捨てるように背中へツインテールを放り投げた。
書斎世界で与えられた女体よりも髪が長い。それに、声もやや明るめだ。
性別の変化など些細な問題にしか思わないマルクだが、少しばかり座りの悪さは感じていた。男として過ごしてきた記憶が、女体への違和感を訴え続ける。
しかし、それを呑み込んであまりある歓喜に満たされてもいた。
「……素晴らしいな」
ツインテールなどという未知の単語を自然に使っていた。
自分の着ている服が浴衣であることを知っていた。
ミナツの人格とその内側に秘められた乙女心を、意識するまでもなく把握した。
「わかるぞ。この女の人生が、この世界の常識が……!」
乗り移った相手の記憶が浸透し、異世界での光景が見慣れた当たり前の風景に変わる。かといって、本来の自分がいた世界や書斎世界の情報が失われたわけでもない。
マルクはミナツであり、ミナツはマルクだった。
「人生を経験する、か。言いえて妙だな」
「ミナツ!」
納得していると、林道の奥から騒がしく人影が躍り出る。
幼馴染であり恋人のリョータだった。
子供の頃から成長の止まったような幼い顔立ちは、温和な性格も手伝って非常に可愛らしい。実際、彼を小動物的な扱いをする友人は多くいた。
その愛らしい童顔が、はぐれた親を見つけたような表情で駆け寄ってくる。
「よかった、ここにいたんだね。……えぇと、知り合い?」
テイミーを一べつし、先ほどのケンカ、もといミナツが一方的に激怒した話題には触れようとしない。
このまま有耶無耶にするつもりだろう。
あの時もあの時も、と、リョータに迫った記憶がフラッシュバックし、苛立ちが募る。
本来ならここで激昂し、二人の関係は更にこじれたはずだ。
「リョータ」
しかしミナツの人生を奪い取った男は、カッとなる気持ちを鎮めゆっくり彼に近づいた。
たおやかな笑みをたたえ、浴衣の帯に手をかける。
今日のために、結んでは解いてを何時間も繰り返し練習した。苦労することなく腰から帯を外すと、浴衣の衿が左右に開く。
レースのついたコバルトブルーのブラと、揃いのショーツを惜しげもなくさらけ出し、ミナツは妖艶に微笑んだまま彼の頭をそっと抱き寄せた。
「み、みみ、みみみみな、みなななな!」
初心な少年は目を白黒とさせ、突然大胆な行動に走った恋人に困惑している。
ここまで直接的な誘惑をするなど、ミナツ自身すら考えにも及ばない。二人はまだまだ少年と少女であり、今日のような些細なすれ違いを乗り越え、絆を育んでいく純粋な若者だ。
ミナツは腕に力を込め、解いたばかりの帯を、少年の首に巻きつけた。
「ッ!? か、あ……」
首を思い切り締められ、ただでさえ大きいリョータの目がさらに見開かれる。
恋人の思惑や行動に戸惑うより先に、生存本能が彼の手足をばたつかせた。
ミナツの運動能力は高いが、筋肉自体は女子の域を出ない。女顔とはいえ男のリョータなら、振り解ける可能性は充分にあった。
「ほら……どうした? 抵抗してみろ」
帯の端を持つ拳をギリリと握り、恋人の細い首筋を締め上げる。
リョータの膝から力が抜け、二人はもつれるように地面に倒れた。
それでも首をくくる手は緩むことなく、ミナツは騎乗したまま酷薄な笑みを浮かべる。
「このままでは、君の恋人は人殺しになってしまうぞ? さあ、困ったなぁ?」
言葉とは裏腹に、首を圧迫する力強さは増す一方だ。
リョータは目に涙を浮かべ、虚空を掻いた。唇が何度も「やめて」と動くが、それが声として形を成すことはない。
不意に、下半身に当たる硬い感触に気付く。
はだけた浴衣の裾をめくり上げ、ショーツに包まれた尻をこする剛直の正体を、ミナツは良く知っている。男性器だ。
死に瀕し、オスとしての本能が勃起を促したのだろう。下着姿を見せびらかしたことで、直前に性欲を刺激したことも無関係ではないはずだ。
「そうだなぁ。もし振り払えたら、このままセックスをしてもいいぞ? 子供の頃から少しは成長したようだし、なぁ!」
ミナツは全力をもって恋人の首を絞め、哄笑を上げた。
豹変した幼馴染をひたすら涙目で見つめていたリョータは、陸に打ち上げられた魚のようにもがき暴れる。
ミナツの白い腕に爪が立てられ、赤く腫れ上がった。痛みはあるが、逆転には程遠い。
目の前で命の灯火が薄れていく。首を絞める帯から死の感触が伝わり、背筋がゾクゾクと粟立つ。
大切な恋人をこの手にかけてしまう恐怖と、初めて人を殺める興奮が混ざり合い、最終的に悦びが勝り下半身がうずいた。
ミナツの興奮が最高潮に達するのとほぼ同じくして、リョータの腕が、糸が切れたように落ちる。
瞳孔を完全に開いたまま、まばたき一つせず空を見つめていた。
口端から流れるヨダレを拭うこともなく、愛らしかった美少女顔がピクピクと醜くうごめいている。それも程なくしておさまり、少年は完全に動かなくなった。
「はぁ、はぁ……リョータ?」
息を切らしながら帯を緩め、、恋人が何も反応しなくなったことを確かめる。
くびれた首筋を見つめ、赤黒く浮かび上がった絞め跡を指先でなぞり、ミナツは激しい喪失感にさいなまれた。
だが彼女の人生を乗っ取った男は、それらの感情を読み取ってなお、薄ら笑いを浮かべる。
「面白い」
生き延びるチャンスを与えられ、活かし切れずに死んだ人間はごまんと知っている。リョータもまた、そのうちの一人だ。
しかし、恋人の手によって絞め殺されるなどとは想像もしなかっただろう。ミナツも、やや気性は荒いが殺人を犯すほど愚かしくはない。
本来ならありえない惨劇を見事に演出し、マルクは未知の感動に震えた。
「ははっ、ははははは!」
「死んじゃいましたね……。これ、このまま放って置いたらすぐに見つかりますよ?」
興奮に水を差すように、テイミーが呟く。
少年をくびり殺すあいだ彼女は一言も発せず、止めようともしなかった。伏目がちな表情から何も感じていないわけではなさそうだが、殺人を否定する気はないらしい。
「どうします? 埋めますか?」
「必要ない」
ミナツは興奮冷めやらぬまま呟き、突き飛ばされたようにリョータの死体にもたれかかった。
独立していた二つの感情が一つにまとまり、一方で触覚をはじめとした五感の輪郭が薄れる。
マルクはミナツの人生から離脱し、魂だけの存在に戻っていた。
「帰るぞ」
異世界で取るべき行動は概ね理解した。もう恋人同士が愛を語らう平和的な世界になど用はない。
目を覚ましたミナツは、激しく慟哭するだろう。
悪意の爪痕だけを刻みつけ、マルクの魂は【真夏日の世界】から音もなく旅立った。
***
書斎世界に戻ってきたマルクは、再びメイド服を着た女の姿になっていた。
試しにミナツの時と同じ要領で肉体から抜け出そうとしたが、上手くいかない。何が原因か考えるよりも先に、カラコロという靴音が響く。
「マルクの能力は、異世界でしか使えない。考えるだけ無駄だぞ?」
書架に挟まれた通路の奥から、真っ黒な浴衣を着た丸眼鏡の男が現れた。
下駄を履き、『納涼』と印刷されたうちわを片手で扇ぐ姿は【真夏日の世界】で見たありふれた格好だ。
男から三歩ほど下がった場所にはテイミーが控え、淡いピンクの浴衣を着て恥ずかしそうにしている。
「なんのつもりだ?」
「退屈しないよう、趣向を凝らそうと思ってね。希望があれば、マルクの分も用意するが」
「……このままでいい」
毒気を抜かれ、脱力する。
マルクにとって、ここまで意図の読めない相手は初めてだった。
「それにしても、微笑ましい恋人達に酷い仕打ちをするじゃないか。さすが、僕の見込んだ男だ」
いつの間にか丸太のイスと木のテーブルが現れ、男が腰をかける。テイミーからカキ氷を受け取り、何の躊躇もなく食べ始めた。
マルクにも同じものが差し出されたが、受け取ることなく突き返す。
「見ていたのか」
「テイミーから話を聞いただけだよ。ミナツちゃんのことが気になるなら、もう一度本の中に入るといい」
丸眼鏡の男は笑顔のまま、【真夏日の世界】の本を卓上に置いた。
表紙には例の黒い栞も添えられている。今度は辞退せずに受け取り、パラパラとページをめくった。中身は変わらず白紙ばかりが続いている。
「その本はあげよう。気が向いた時に行ってみるといい」
男はカキ氷を一気に流し込み、空になったカップを机の上に叩き付けた。
「さて、練習は終わりだ」
着色料で青くなった舌を覗かせ、油断のない瞳でマルクを見る。
「【英雄】がいる世界を教えよう。手腕に期待する」
「ああ。朗報を送ろう」
英雄のいる世界では、果たしてどのような惨劇が生まれるのか。
空想を重ねるだけでミナツの肉体で感じた興奮が蘇り、マルクの唇がゆっくりと上下に裂けた。
説明不足はありますがそれは追々。主人公がエロに目覚めるのも追々で
結構な見切り発車部分があるので更新ペースは落ちます
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3頁「真夏日の世界」
ミナツは憤りを抱えながら、林の中を滅茶苦茶に歩いていた。
突き出た枝に浴衣の袖をたびたび引っ掛け、履き慣れない下駄で土を蹴る速度はいつもの半分も出ていない。
昔から活動的で女らしい格好など滅多にしないが、今夜の夏祭りでは数年ぶりに浴衣を着た。それもこれも、一緒に来た少年に褒めて貰いたかったからだ。
女顔で小心者な自分の幼馴染を思い出し、再び苛立ちが湧き上がる。
「リョータのばか……」
立ち止まり、明るい紺の生地に朝顔の模様が散りばめられた真新しい浴衣を見下ろす。
幼馴染を連れ出し、浴衣姿のお披露目自体は成功した。だが、肝心の反応は期待していたものとは大きく異なった。
共通の友人の話で盛り上がり、夏休みの課題の進捗状況で共感し、恋人同士の穏やかで幸福な時間を過ごしながらミナツは彼を人目のない場所へと連れ込んだ。
恋人の手に指を絡ませ、お互いを無言で見つめあい、静かに目を伏せる。
だが唇に望み通りの感触はいつまで経っても訪れず、不審に思って目を開けると、リョータは美少女すら気後れしてしまうのではないかと思うほど愛らしく赤面していた
小動物のように震える恋人の姿に、女としてのプライドが打ち砕かれた気分だった。同時に、自分がここまでお膳立てしておきながら受身に走る彼に腹が立った。
リョータの性格は本人以上に熟知しているが、こんなときぐらい男らしく自分を求めて欲しい。そんな女心を踏みにじられた気分だ。
「バカバカ、バカッ、大バカ……!」
浴衣まで用意してめかし込んだ自分が惨めだった。キスから先までを考え、可愛らしい下着を厳選していた自分が痴女のように思えてくる。
暗い気持ちが重くのしかかり。
場違いなほど冷たい気配が、背筋にピタリと張り付いた。
「ヒッ!?」
冷気は浴衣を通り抜け、皮膚の下へと滑り込んでくる。
体内を満たす熱が塗り替えられ、侵蝕範囲が広がるにつれて手足がガクガクと痙攣する。
全身が虚脱感に包まれ、棒立ちのまま意識だけが薄れていった。
(あ……や……たすけ……リョ……タ……)
恋人がヒーローのように駆けつけることもなく、頭の中が真っ暗に染まる。
この瞬間、ミナツの人生は、彼女のものではなくなった。
「……ふむ」
ミナツは沈黙を破ると、先ほどと同じように浴衣姿の自分の体を見下ろした。
肩に流れるツインテールの片房を引き寄せ、物珍しそうに眺める。
くたびれたような目つきは活発だった印象を大きく変え、口端が薄く吊り上がることでますます彼女の持つ健康的な魅力から遠ざかる。
「あ、あのぅ。具合はいかがでしょう……?」
林の中からメイド服を着た女が現れ、遠慮がちに声を掛けてきた。
このような珍妙な格好をした知り合いなどいなかったが、ミナツは彼女らしくもない気だるげな口調で応じる。
「悪くない」
ミナツは……『掛川深夏』の人生に割り込んだマルクの意思は、ゴミでも捨てるように背中へツインテールを放り投げた。
書斎世界で与えられた女体よりも髪が長い。それに、声もやや明るめだ。
性別の変化など些細な問題にしか思わないマルクだが、少しばかり座りの悪さは感じていた。男として過ごしてきた記憶が、女体への違和感を訴え続ける。
しかし、それを呑み込んであまりある歓喜に満たされてもいた。
「……素晴らしいな」
ツインテールなどという未知の単語を自然に使っていた。
自分の着ている服が浴衣であることを知っていた。
ミナツの人格とその内側に秘められた乙女心を、意識するまでもなく把握した。
「わかるぞ。この女の人生が、この世界の常識が……!」
乗り移った相手の記憶が浸透し、異世界での光景が見慣れた当たり前の風景に変わる。かといって、本来の自分がいた世界や書斎世界の情報が失われたわけでもない。
マルクはミナツであり、ミナツはマルクだった。
「人生を経験する、か。言いえて妙だな」
「ミナツ!」
納得していると、林道の奥から騒がしく人影が躍り出る。
幼馴染であり恋人のリョータだった。
子供の頃から成長の止まったような幼い顔立ちは、温和な性格も手伝って非常に可愛らしい。実際、彼を小動物的な扱いをする友人は多くいた。
その愛らしい童顔が、はぐれた親を見つけたような表情で駆け寄ってくる。
「よかった、ここにいたんだね。……えぇと、知り合い?」
テイミーを一べつし、先ほどのケンカ、もといミナツが一方的に激怒した話題には触れようとしない。
このまま有耶無耶にするつもりだろう。
あの時もあの時も、と、リョータに迫った記憶がフラッシュバックし、苛立ちが募る。
本来ならここで激昂し、二人の関係は更にこじれたはずだ。
「リョータ」
しかしミナツの人生を奪い取った男は、カッとなる気持ちを鎮めゆっくり彼に近づいた。
たおやかな笑みをたたえ、浴衣の帯に手をかける。
今日のために、結んでは解いてを何時間も繰り返し練習した。苦労することなく腰から帯を外すと、浴衣の衿が左右に開く。
レースのついたコバルトブルーのブラと、揃いのショーツを惜しげもなくさらけ出し、ミナツは妖艶に微笑んだまま彼の頭をそっと抱き寄せた。
「み、みみ、みみみみな、みなななな!」
初心な少年は目を白黒とさせ、突然大胆な行動に走った恋人に困惑している。
ここまで直接的な誘惑をするなど、ミナツ自身すら考えにも及ばない。二人はまだまだ少年と少女であり、今日のような些細なすれ違いを乗り越え、絆を育んでいく純粋な若者だ。
ミナツは腕に力を込め、解いたばかりの帯を、少年の首に巻きつけた。
「ッ!? か、あ……」
首を思い切り締められ、ただでさえ大きいリョータの目がさらに見開かれる。
恋人の思惑や行動に戸惑うより先に、生存本能が彼の手足をばたつかせた。
ミナツの運動能力は高いが、筋肉自体は女子の域を出ない。女顔とはいえ男のリョータなら、振り解ける可能性は充分にあった。
「ほら……どうした? 抵抗してみろ」
帯の端を持つ拳をギリリと握り、恋人の細い首筋を締め上げる。
リョータの膝から力が抜け、二人はもつれるように地面に倒れた。
それでも首をくくる手は緩むことなく、ミナツは騎乗したまま酷薄な笑みを浮かべる。
「このままでは、君の恋人は人殺しになってしまうぞ? さあ、困ったなぁ?」
言葉とは裏腹に、首を圧迫する力強さは増す一方だ。
リョータは目に涙を浮かべ、虚空を掻いた。唇が何度も「やめて」と動くが、それが声として形を成すことはない。
不意に、下半身に当たる硬い感触に気付く。
はだけた浴衣の裾をめくり上げ、ショーツに包まれた尻をこする剛直の正体を、ミナツは良く知っている。男性器だ。
死に瀕し、オスとしての本能が勃起を促したのだろう。下着姿を見せびらかしたことで、直前に性欲を刺激したことも無関係ではないはずだ。
「そうだなぁ。もし振り払えたら、このままセックスをしてもいいぞ? 子供の頃から少しは成長したようだし、なぁ!」
ミナツは全力をもって恋人の首を絞め、哄笑を上げた。
豹変した幼馴染をひたすら涙目で見つめていたリョータは、陸に打ち上げられた魚のようにもがき暴れる。
ミナツの白い腕に爪が立てられ、赤く腫れ上がった。痛みはあるが、逆転には程遠い。
目の前で命の灯火が薄れていく。首を絞める帯から死の感触が伝わり、背筋がゾクゾクと粟立つ。
大切な恋人をこの手にかけてしまう恐怖と、初めて人を殺める興奮が混ざり合い、最終的に悦びが勝り下半身がうずいた。
ミナツの興奮が最高潮に達するのとほぼ同じくして、リョータの腕が、糸が切れたように落ちる。
瞳孔を完全に開いたまま、まばたき一つせず空を見つめていた。
口端から流れるヨダレを拭うこともなく、愛らしかった美少女顔がピクピクと醜くうごめいている。それも程なくしておさまり、少年は完全に動かなくなった。
「はぁ、はぁ……リョータ?」
息を切らしながら帯を緩め、、恋人が何も反応しなくなったことを確かめる。
くびれた首筋を見つめ、赤黒く浮かび上がった絞め跡を指先でなぞり、ミナツは激しい喪失感にさいなまれた。
だが彼女の人生を乗っ取った男は、それらの感情を読み取ってなお、薄ら笑いを浮かべる。
「面白い」
生き延びるチャンスを与えられ、活かし切れずに死んだ人間はごまんと知っている。リョータもまた、そのうちの一人だ。
しかし、恋人の手によって絞め殺されるなどとは想像もしなかっただろう。ミナツも、やや気性は荒いが殺人を犯すほど愚かしくはない。
本来ならありえない惨劇を見事に演出し、マルクは未知の感動に震えた。
「ははっ、ははははは!」
「死んじゃいましたね……。これ、このまま放って置いたらすぐに見つかりますよ?」
興奮に水を差すように、テイミーが呟く。
少年をくびり殺すあいだ彼女は一言も発せず、止めようともしなかった。伏目がちな表情から何も感じていないわけではなさそうだが、殺人を否定する気はないらしい。
「どうします? 埋めますか?」
「必要ない」
ミナツは興奮冷めやらぬまま呟き、突き飛ばされたようにリョータの死体にもたれかかった。
独立していた二つの感情が一つにまとまり、一方で触覚をはじめとした五感の輪郭が薄れる。
マルクはミナツの人生から離脱し、魂だけの存在に戻っていた。
「帰るぞ」
異世界で取るべき行動は概ね理解した。もう恋人同士が愛を語らう平和的な世界になど用はない。
目を覚ましたミナツは、激しく慟哭するだろう。
悪意の爪痕だけを刻みつけ、マルクの魂は【真夏日の世界】から音もなく旅立った。
***
書斎世界に戻ってきたマルクは、再びメイド服を着た女の姿になっていた。
試しにミナツの時と同じ要領で肉体から抜け出そうとしたが、上手くいかない。何が原因か考えるよりも先に、カラコロという靴音が響く。
「マルクの能力は、異世界でしか使えない。考えるだけ無駄だぞ?」
書架に挟まれた通路の奥から、真っ黒な浴衣を着た丸眼鏡の男が現れた。
下駄を履き、『納涼』と印刷されたうちわを片手で扇ぐ姿は【真夏日の世界】で見たありふれた格好だ。
男から三歩ほど下がった場所にはテイミーが控え、淡いピンクの浴衣を着て恥ずかしそうにしている。
「なんのつもりだ?」
「退屈しないよう、趣向を凝らそうと思ってね。希望があれば、マルクの分も用意するが」
「……このままでいい」
毒気を抜かれ、脱力する。
マルクにとって、ここまで意図の読めない相手は初めてだった。
「それにしても、微笑ましい恋人達に酷い仕打ちをするじゃないか。さすが、僕の見込んだ男だ」
いつの間にか丸太のイスと木のテーブルが現れ、男が腰をかける。テイミーからカキ氷を受け取り、何の躊躇もなく食べ始めた。
マルクにも同じものが差し出されたが、受け取ることなく突き返す。
「見ていたのか」
「テイミーから話を聞いただけだよ。ミナツちゃんのことが気になるなら、もう一度本の中に入るといい」
丸眼鏡の男は笑顔のまま、【真夏日の世界】の本を卓上に置いた。
表紙には例の黒い栞も添えられている。今度は辞退せずに受け取り、パラパラとページをめくった。中身は変わらず白紙ばかりが続いている。
「その本はあげよう。気が向いた時に行ってみるといい」
男はカキ氷を一気に流し込み、空になったカップを机の上に叩き付けた。
「さて、練習は終わりだ」
着色料で青くなった舌を覗かせ、油断のない瞳でマルクを見る。
「【英雄】がいる世界を教えよう。手腕に期待する」
「ああ。朗報を送ろう」
英雄のいる世界では、果たしてどのような惨劇が生まれるのか。
空想を重ねるだけでミナツの肉体で感じた興奮が蘇り、マルクの唇がゆっくりと上下に裂けた。
説明不足はありますがそれは追々。主人公がエロに目覚めるのも追々で
結構な見切り発車部分があるので更新ペースは落ちます

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