ワーキング ~婦警
長編の「退屈な書斎」は中断して続かない短編をまた書いています
二本目:婦警入れ替わり
二本目:婦警入れ替わり
この国の犯罪検挙率は、全体で見れば実はそれほど高くない。
警察が不甲斐ないのかといえば決してそういうわけではなく、パーセンテージが低いのは主に窃盗などといった犯人を特定しづらい犯罪が原因だった。
一方で、強姦や殺人などの事件は9割以上の確率で犯人を捕まえている。
一時期は危険ドラッグなどという薬物が流行したがいまではパタリと聞かなくなったのも、国と警察が総力を挙げて市場を撤退させたからだ。
それでも残念ながら危険ドラッグの脅威が完全に消え去ったわけではない。薬物を求める顧客に売る人間、そして新たなドラッグを作り出す存在は後を絶たない。
婦人警官の一員である堀末純恋(ほりすえじゅんこ)は自らの役職を誇りに思い、そういった闇に潜む犯罪者を一人でも多く捕まえようと使命感を燃やしていた。
上司である老齢の巡査部長は無鉄砲だと苦笑いを浮かべ、先行しするきらいのある純恋を穏やかにたしなめてくれる。父と娘ほども歳が離れているが、互いに相手を尊重し、信頼しあっていた。
「堀末、巡回行くぞ」
「あっ、はい!」
部長の声に反応し、純恋が顔を上げる。
壁に掛かった時計に目をやると、時刻は日が沈んで久しい深夜。街の治安がいっそう悪くなる時間帯だ。
昼間でさえ暴力沙汰の多いこの街では、近頃薬物所持の検挙率が上昇しつつあった。
大麻や覚せい剤。撲滅したはずの危険ドラッグを所持する人間までいる。中でも特に不愉快なのが、『学生服の少女から買った』という証言だ。
服装どおりの年齢ではないにしても、若い女性が薬の売人だという話は聞くだけで頭が痛くなる。どうして人生で一番輝かしい時期に、犯罪に手を染めてしまうのだろう。
今日こそは見つかるだろうか? いや、見つけ出してみせる。
「がんばりましょうね、部長!」
「ま、ほどほどにな」
*
フラフラの酔っ払いをタクシーに詰め込み、走り去るのを見届けると純恋はようやく一息ついた。
眠らない街と呼ばれるだけあって、大小問わず事件はひっきりなしに起きる。
酩酊した客同士の揉め事が起こらない日はないし、悪質な客引きは何度注意してもなくならない。
売春と思わしき人待ち顔の少女を諭し補導するのは主に純恋の役目で、それがまた神経のすり減る仕事だった。
とにかく聞き分けのない相手が多すぎる。荒事は巡査部長が担当し適材適所といえばそうなのだが、理屈の通じない人間を説き伏せるのは暴れる人間を取り押さえるよりも骨が折れた。
「そろそろ戻るか。ご苦労さん」
巡査部長が腕時計を確認し、笑顔を見せる。あと数年で定年だと言うのに、体力の衰えをまったく感じさせない。
「そうですね……あれ?」
虹色のネオンが輝く繁華街を振り返り、ふいに違和感を見つける。
日付が変わって久しいこの時間には似つかわしくない、ブレザータイプの学生服。それを着る長い黒髪のおとなしそうな少女が、スーツ姿の男と一緒に裏路地へ入っていった。
「部長……ッ」
「ああ」
声を潜めて促すと、巡査部長も言葉少なに頷く。
二人は揃って走り出し、どこかきな臭いモノを感じながら少女とスーツ姿の男を追った。
両隣を雑居ビルで挟まれた袋小路には、先ほどの少女と二人の男がいた。
一人は、少女と連れ立って路地裏に入ったスーツ姿の男だ。挙動不審な動きで周囲を警戒しているが、物陰から様子を窺う純恋たちに気付く様子はない。
残りの一人は最初から路地裏で待ち構えていたのだろう。虹色の髪をした、派手な男だった。ニタニタとしただらしない笑みが、余計に柄の悪さを強調している。
そして、まるで自分こそがこの場を支配しているかのような顔で黒髪の少女がコンテナの上に足を組んで座っていた。
少なくとも、これから少女への暴行が始まる光景ではなさそうだ。
(あの娘が、ドラッグを売る女の子?)
まさか、と警官服に包まれた体に緊張が走る。よくよく見れば少女の制服は、都内でも有名なお嬢様学園のものだった。
有名校の人間がすべて清廉潔白な人間であるなどとは流石に思っていないが、それでも彼女の服装は充分驚きに値する。
「金は持ってきたんだろうな?」
少女が口を開き、スーツ姿の男に尋ねる。台詞の粗暴さと比例しない、可憐な声色だった。
「え、えぇ。これです」
懐から茶封筒を差し出すと、蛍光色ヘアの男がタトゥーだらけの腕でそれをひったくるように受け取った。
中身は、札束だ。それも、十枚や二十枚ではきかない厚みを持っている。
男は慣れた手つきで札束を数え、下劣な笑みで少女に振り返った。
「ちゃんとありますぜ」
「よぉし、契約成立だな」
少女は軽やかに喉を鳴らし、明るいカーキ色をしたブレザーのポケットから何か細長い物を取り出す。
注射器だった。
反射的に身を乗り出そうとして、ふいに、電気がはじけたような音と巡査部長のうめき声が同時に響いた。
(部長?)
振り向くと巡査部長がうつぶせに倒れ、彼の背後にはスタンガンを持った痩せぎすの男が佇んでいた。
「なっ……!」
とっさに拳銃を構えようと腰に手を伸ばした瞬間、痩せぎすの男が脚を振り、わき腹を蹴る。とてつもない衝撃に体がくの字型に折れ曲がり、純恋はそのままの勢いで少女たちの前に蹴り出されてしまった。
「け、警察!?」
スーツの男が慌てふためき、縋るような視線を周囲に向ける。だが、彼以外の顔ぶれは平然としていた。
「……ちょうどいい。そろそろ新調しようと思っていたんだ」
注射器を持つ少女が、可憐な顔立ちには不釣合いな薄ら寒い笑みで純恋を見下ろす。
「くっ……う、動くな! あなたたちは完全に包囲されている!」
「あー、そーゆーハッタリはイラネーんだわ」
タトゥー男が覆いかぶさり、立ち上がろうとした上半身にのしかかってくる。わき腹へのダメージもあってか抵抗は間に合わなかった。
両腕をガッシリと掴まれ、巡査部長も痩せぎすの男に手錠を奪われ拘束される。絶体絶命だ。
「さぁてオマワリサン。コイツがどういうものか、知りたいか?」
少女が目の前で身を屈め、先ほどの注射器を見せびらかすように振る。脚を開いたいわゆるヤンキー座りのためか、スカートの中が丸見えになっていた。
「えぇ、あとでたっぷり聞かせて貰うわ。取調室でね!」
「はははっ、いつまで強がっていられるかな……おいっ」
少女がアゴをしゃくると、馬乗りになった男は純恋の制服の袖をまくり上げ、腕を露出させた。
むき出しの白い肌に、注射器の針が近づいてくる。どうしようもない嫌悪感が迫り、しかし体は思い通りに動かない。
皮膚を爪でつままれたような小さな痛みが走り、プツという幻聴がした。
針が、注射器に入っている無色透明の液体が、体の中に侵入する。液体は静脈を通り、あっという間に全身を駆けめぐる。
(クスリなんかに……負けるもんか……!)
少女がどんな薬を使ったのかはわからない。もしかしたらそれこそハッタリで、ただの水という可能性も充分にありえた。
だが視界の端から徐々に輪郭が歪み、動悸が激しくなってきたところで、そんな甘い考えは消える。
「うっ、く……あ、ああああっ!」
心臓を直接殴られたような痛みが走り、短い呼吸を何度も繰り返す。酸素が充分に脳へと行き渡らず、意識が霞む。
(もしかして、毒……? 麻薬じゃなくて?)
自らの死が突然見える距離に現れ、恐怖が鎌首をもたげる。
死ぬのか。ここで、こんなところで、こんなことで?
感情が暴発しそうになる。いやだ、死にたくない。だがそれこそが悪党どもの狙いではないのか。警官に無様な命乞いをさせて、優越感に浸るのが目的ではないのか。
「こいつをキメた奴は即効でトリップ状態に入り、意識が薄れる」
妙にエコーの掛かった声で、少女が口を開く。純恋に説明しているのか、それとも別の男に説明しているのか、確かめる気力すら湧かない。
目の前の光景が歪曲し、視界に極彩色の波紋が広がる。
少女の説明は続いた。
「下手に理性を保とうとか考えると苦しいだけだが……どんなに抵抗しても、そのうち必ずブッ飛ぶ。そうなりゃ、気持ちよくなることしか考えられねぇ奴隷の出来上がりさ」
可憐な声が頭の中で響き、その言葉に扇動されるように肉体が反応を示す。
触れてもいないのに股間が濡れ、乳首が立ってきた。
(う、うそ……いやっ!)
恥らう気持ちとは裏腹に、全身が急速に疼きだす。
学生時代に一度だけ読んだ、有害図書に出てくる媚薬を使われた気分だった。意思とは関係なく体が肉棒を欲し、理性の砦が崩壊していく。
「だが、このクスリの真骨頂はそこじゃねえ」
ブレザーのポケットをまさぐり、少女が新たな注射器を取り出す。
純恋を見下ろしたまま、彼女は少しもためらうことなく、針の先端を自分の首筋に突き立てた。
「なっ……なにを……!」
「ふ、ふふ……」
注射器を放り捨てた小さな手が純恋の頬を覆い、鼻先が触れ合うほど近い距離に少女の昂揚した顔が迫る。
熱に浮かされた瞳が、まっすぐに見つめていた。
「はぁ、はぁ……んちゅっ、ちゅぅうっ」
「んんぅーーーーッ」
熱い息がかかったと思った瞬間、柔らかい感触が唇を包み込む。
少女に、キスをされている。
初めて交わす同性とのキスは、男とのそれよりもずっと柔らかい。こみあがる快楽に痙攣していた唇が優しく押し広げられ、口腔内に肉厚な舌が差し込まれる。
舌先があっという間に純恋の舌を絡めとり、口端からヨダレとともに艶かしい吐息と、そして粘液のかき混ぜる水音が溢れ出た。
「んふっ、んぢゅ、ぢゅ、ちゅ、ぁ、ふぅっ!」
「んんっ。ちゅ、むちゅっ、んん、ちゅぷ。ぷぁっ」
唇と嬌声を重ね合わせるたびに、心までとろけていくようだった。
希薄になりつつある意識が警察官としての誇りも忘れ、ひとつの思いに捉われる。
(したい……気持ちよく、なりたい……!)
純恋は自分からも少女を求め、舌を動かしていた。
卑猥な水音が一段と大きくなり、心地良さに全身が犯される。いつの間にか自由になっていた両腕を少女の肩に回し、密着度を高める。
同性愛のケなど純恋にはもちろんない。それなのに、目の前の少女が欲しくて欲しくてたまらなかった。
「ぢゅうっ、ンンッ、ふちゅっ、んぱっ、んふぅ!」
目の前の景色が白み、自分自身の輪郭すらあやふやになる。
体の火照りがますます加速し、気持ちよくなることしか考えられない。
有害図書の展開そのままだ。媚薬を使われ、下品に淫れ、最後はオモチャのように弄ばれるに違いない。
そして今の彼女は、むしろそんな未来こそ望んでいた。
想像をするだけで子宮が疼き、下半身が震える。
「あひぇ! ふぁう! ううううぁっ!」
濁流のような快感に意識が呑み込まれ、くぐもったキスの音色が賑やかな喘ぎ声にとって代わる。
このまま、キスだけでイってしまいそうだった。
「も、もう、ちゅっ、ちゅぱっ、だめ……んぢゅるっ! イク、いっちゃうぅっ!」
嬌声を響かせ、恋人ともしたことのない激しいディープキスを見知らぬ少女と交わし、一気に上り詰める。
そのはずだった。
「んくぅううう!?」
絶頂を味わうつもりでいた意識が、予想だにしなかった快楽に襲われた。
上り詰めたはずなのに、頂上を飛び越えてしまったような感覚。達成感を得られないまま絶頂の波が引き、代わりに甘い痺れと快感の余韻に全身が包み込まれる。
「あっ、はあっ!? ど、どう、して……あああうっ!」
戸惑いを含んだ艶めかしい声は淫らで、それでいて可憐だった。女の声には違いないが、どこか違和感を覚える。
比喩ではなく、自分のものではないような声。それに、快楽の余波とは別にやけにカラダが重く感じる。
「は、はぁ……! ……くっ……ふふっ」
吐息が鼻先にかかり、目の前で女が妖艶な微笑みを漏らす。
こぼれたヨダレもそのままに唇を歪ませるその顔は、『堀末純恋』のものだった。
「わた……し!?」
『純恋』の姿をした誰かは驚く純恋を突き飛ばし、密着していた体を離す。
尻餅をついた肉体をおそるおそる見下ろすと、見覚えのある学生服を着ていた。カーキ色のブレザーと肩を流れる長い黒髪が、現実を受け入れろと主張している。
少女と自分の体が入れ替わっているという、嘘のような現実を。
「なん……で、うぐっ!?」
荒れ狂うほどの快感もすっかり消え失せ、残ったのは恐怖と戸惑いだけだった。
頭の中が疑問符でいっぱいになり、それらを無理矢理ねじ伏せるような強烈な蹴撃が視界を揺さぶる。
軽々と体が吹っ飛び、アスファルトの上を転がる。雑居ビルの壁に背中を打ちつけ、先ほどとは真逆の意味で明滅する視界が痩せぎすの男を捉えた。
「おいおい。さっきまで俺の体だったのに容赦ねぇな」
「……申し訳ありません」
『純恋』と痩せぎすの男が、まるで雇い主と部下のような会話をする。
「あ、あなたたちは……いったい……あぅっ!」
説明を求めて開いた口は、悲鳴に塗りつぶされてしまった。
蛍光色ヘアの男にあごをつかまれ、無理矢理上半身を起こされる。
男の目はギラギラと輝き、少女になった純恋のカラダをなめ回すように見ていた。
「ひひひ、アニキぃ、もうこのオンナやっちゃっていいすよね」
タトゥーをびっしりと彫った腕で少女になった純恋のカラダを抱きすくめ、男が下劣な笑い声を上げながら『純恋』に尋ねる。
純恋の体を奪った元少女は、呆れたような顔でため息をこぼした。
「物好きなやつだ。薬でボロボロの女を抱きたいなんてな」
薬……ボロボロ……?
全身を包み込む疲労感の理由が示唆された気がして、血の気が引く。まさか、このカラダは……。
「アニキが使っている時に手出しなんかできねぇしなぁ。……上玉には違いねぇっすよ。なんせ、あのお嬢様校の生徒っすから」
言葉尻に不快な笑い声を付け足し、二本の手が見慣れない純恋の体を這いまわる。
痩せぎすの男は沈黙を保ち、スーツ姿の男は相変わらずおろおろしていた。
「あ、あの……私のクスリは……」
「あいにく、いま使ったので全部だ。また連絡する」
「そ、そんな! 契約違反だ!」
「……っせーなぁ」
聞こえよがしに舌打ちをすると、『純恋』はホルダーから銃を引き抜き、男の眉間に突き付けた。
「なんなら、この場で逮捕してやろうか? 今の俺は、正義のオマワリサンだからなぁ」
引き金に指をかけたまま撃鉄を下ろし、一般市民を拳銃で脅迫する。
そんな元・自分の姿を、直視などとてもできなかった。
(やめて……やめて……! お願い……、もうやめて!)
身体は男に弄ばれ、目の前では他ならぬ自分が誇りある職業の制服を着たまま犯罪行為をしている。
何ひとつとして自由にならない状況に、心が大きくひび割れていくようだった。
「助けて! 誰かんんんっ!」
唇が男の口で塞がれ、一縷の望みを託した悲鳴も不発に終わる。
薬の効果は完全に切れたのか、今度のキスは気持ちよくもなんともない。ざらついた舌の感触や流し込まれる他人の唾液に、吐き気すら覚える。
「んくっ、んんふっ、あぷっ、むぅっ……んっ!」
忌避感でいっぱいの喘ぎ声はそれでも可憐で、いやらしい。
乱暴に胸を揉まれ、スカートの中に手を入れられる。意思とは裏腹に、濡れているのが自分でもわかった。
「堀末純恋……これが俺の名前か」
警察手帳を手のひらで弄び、『純恋』が口角を吊り上げる。
「警官の立場を使えば、仕事も楽にいけそうだ」
「……では、学園市場はいかが致しますか?」
「それも続ける。新しい販売員と生徒のカラダを調達してな」
痩せぎすの男と会話をしながら、『純恋』は気絶した巡査部長の手錠を外し、肩に担いだ。
「じゃあな、オワマリサン。せいぜい捕まらないよう気をつけな」
「ま、まって……んんっ!」
男のペニスが侵入し、またも嬌声に遮られる。
挿入されるまで、まったく気づかなかった。
「ゆるっゆるだなぁ、この腐れビッチ! 今まで何人の男とヤッたんだ、あぁん?」
「し、しらな……あぅっ!」
体の中を出入りする異物感にうちひしがれ、遠ざかる『自分』の背中を見送る。
絶望の中で行われる男女の交わりは、夜明けまで続いた。
スポンサーサイト

警察が不甲斐ないのかといえば決してそういうわけではなく、パーセンテージが低いのは主に窃盗などといった犯人を特定しづらい犯罪が原因だった。
一方で、強姦や殺人などの事件は9割以上の確率で犯人を捕まえている。
一時期は危険ドラッグなどという薬物が流行したがいまではパタリと聞かなくなったのも、国と警察が総力を挙げて市場を撤退させたからだ。
それでも残念ながら危険ドラッグの脅威が完全に消え去ったわけではない。薬物を求める顧客に売る人間、そして新たなドラッグを作り出す存在は後を絶たない。
婦人警官の一員である堀末純恋(ほりすえじゅんこ)は自らの役職を誇りに思い、そういった闇に潜む犯罪者を一人でも多く捕まえようと使命感を燃やしていた。
上司である老齢の巡査部長は無鉄砲だと苦笑いを浮かべ、先行しするきらいのある純恋を穏やかにたしなめてくれる。父と娘ほども歳が離れているが、互いに相手を尊重し、信頼しあっていた。
「堀末、巡回行くぞ」
「あっ、はい!」
部長の声に反応し、純恋が顔を上げる。
壁に掛かった時計に目をやると、時刻は日が沈んで久しい深夜。街の治安がいっそう悪くなる時間帯だ。
昼間でさえ暴力沙汰の多いこの街では、近頃薬物所持の検挙率が上昇しつつあった。
大麻や覚せい剤。撲滅したはずの危険ドラッグを所持する人間までいる。中でも特に不愉快なのが、『学生服の少女から買った』という証言だ。
服装どおりの年齢ではないにしても、若い女性が薬の売人だという話は聞くだけで頭が痛くなる。どうして人生で一番輝かしい時期に、犯罪に手を染めてしまうのだろう。
今日こそは見つかるだろうか? いや、見つけ出してみせる。
「がんばりましょうね、部長!」
「ま、ほどほどにな」
*
フラフラの酔っ払いをタクシーに詰め込み、走り去るのを見届けると純恋はようやく一息ついた。
眠らない街と呼ばれるだけあって、大小問わず事件はひっきりなしに起きる。
酩酊した客同士の揉め事が起こらない日はないし、悪質な客引きは何度注意してもなくならない。
売春と思わしき人待ち顔の少女を諭し補導するのは主に純恋の役目で、それがまた神経のすり減る仕事だった。
とにかく聞き分けのない相手が多すぎる。荒事は巡査部長が担当し適材適所といえばそうなのだが、理屈の通じない人間を説き伏せるのは暴れる人間を取り押さえるよりも骨が折れた。
「そろそろ戻るか。ご苦労さん」
巡査部長が腕時計を確認し、笑顔を見せる。あと数年で定年だと言うのに、体力の衰えをまったく感じさせない。
「そうですね……あれ?」
虹色のネオンが輝く繁華街を振り返り、ふいに違和感を見つける。
日付が変わって久しいこの時間には似つかわしくない、ブレザータイプの学生服。それを着る長い黒髪のおとなしそうな少女が、スーツ姿の男と一緒に裏路地へ入っていった。
「部長……ッ」
「ああ」
声を潜めて促すと、巡査部長も言葉少なに頷く。
二人は揃って走り出し、どこかきな臭いモノを感じながら少女とスーツ姿の男を追った。
両隣を雑居ビルで挟まれた袋小路には、先ほどの少女と二人の男がいた。
一人は、少女と連れ立って路地裏に入ったスーツ姿の男だ。挙動不審な動きで周囲を警戒しているが、物陰から様子を窺う純恋たちに気付く様子はない。
残りの一人は最初から路地裏で待ち構えていたのだろう。虹色の髪をした、派手な男だった。ニタニタとしただらしない笑みが、余計に柄の悪さを強調している。
そして、まるで自分こそがこの場を支配しているかのような顔で黒髪の少女がコンテナの上に足を組んで座っていた。
少なくとも、これから少女への暴行が始まる光景ではなさそうだ。
(あの娘が、ドラッグを売る女の子?)
まさか、と警官服に包まれた体に緊張が走る。よくよく見れば少女の制服は、都内でも有名なお嬢様学園のものだった。
有名校の人間がすべて清廉潔白な人間であるなどとは流石に思っていないが、それでも彼女の服装は充分驚きに値する。
「金は持ってきたんだろうな?」
少女が口を開き、スーツ姿の男に尋ねる。台詞の粗暴さと比例しない、可憐な声色だった。
「え、えぇ。これです」
懐から茶封筒を差し出すと、蛍光色ヘアの男がタトゥーだらけの腕でそれをひったくるように受け取った。
中身は、札束だ。それも、十枚や二十枚ではきかない厚みを持っている。
男は慣れた手つきで札束を数え、下劣な笑みで少女に振り返った。
「ちゃんとありますぜ」
「よぉし、契約成立だな」
少女は軽やかに喉を鳴らし、明るいカーキ色をしたブレザーのポケットから何か細長い物を取り出す。
注射器だった。
反射的に身を乗り出そうとして、ふいに、電気がはじけたような音と巡査部長のうめき声が同時に響いた。
(部長?)
振り向くと巡査部長がうつぶせに倒れ、彼の背後にはスタンガンを持った痩せぎすの男が佇んでいた。
「なっ……!」
とっさに拳銃を構えようと腰に手を伸ばした瞬間、痩せぎすの男が脚を振り、わき腹を蹴る。とてつもない衝撃に体がくの字型に折れ曲がり、純恋はそのままの勢いで少女たちの前に蹴り出されてしまった。
「け、警察!?」
スーツの男が慌てふためき、縋るような視線を周囲に向ける。だが、彼以外の顔ぶれは平然としていた。
「……ちょうどいい。そろそろ新調しようと思っていたんだ」
注射器を持つ少女が、可憐な顔立ちには不釣合いな薄ら寒い笑みで純恋を見下ろす。
「くっ……う、動くな! あなたたちは完全に包囲されている!」
「あー、そーゆーハッタリはイラネーんだわ」
タトゥー男が覆いかぶさり、立ち上がろうとした上半身にのしかかってくる。わき腹へのダメージもあってか抵抗は間に合わなかった。
両腕をガッシリと掴まれ、巡査部長も痩せぎすの男に手錠を奪われ拘束される。絶体絶命だ。
「さぁてオマワリサン。コイツがどういうものか、知りたいか?」
少女が目の前で身を屈め、先ほどの注射器を見せびらかすように振る。脚を開いたいわゆるヤンキー座りのためか、スカートの中が丸見えになっていた。
「えぇ、あとでたっぷり聞かせて貰うわ。取調室でね!」
「はははっ、いつまで強がっていられるかな……おいっ」
少女がアゴをしゃくると、馬乗りになった男は純恋の制服の袖をまくり上げ、腕を露出させた。
むき出しの白い肌に、注射器の針が近づいてくる。どうしようもない嫌悪感が迫り、しかし体は思い通りに動かない。
皮膚を爪でつままれたような小さな痛みが走り、プツという幻聴がした。
針が、注射器に入っている無色透明の液体が、体の中に侵入する。液体は静脈を通り、あっという間に全身を駆けめぐる。
(クスリなんかに……負けるもんか……!)
少女がどんな薬を使ったのかはわからない。もしかしたらそれこそハッタリで、ただの水という可能性も充分にありえた。
だが視界の端から徐々に輪郭が歪み、動悸が激しくなってきたところで、そんな甘い考えは消える。
「うっ、く……あ、ああああっ!」
心臓を直接殴られたような痛みが走り、短い呼吸を何度も繰り返す。酸素が充分に脳へと行き渡らず、意識が霞む。
(もしかして、毒……? 麻薬じゃなくて?)
自らの死が突然見える距離に現れ、恐怖が鎌首をもたげる。
死ぬのか。ここで、こんなところで、こんなことで?
感情が暴発しそうになる。いやだ、死にたくない。だがそれこそが悪党どもの狙いではないのか。警官に無様な命乞いをさせて、優越感に浸るのが目的ではないのか。
「こいつをキメた奴は即効でトリップ状態に入り、意識が薄れる」
妙にエコーの掛かった声で、少女が口を開く。純恋に説明しているのか、それとも別の男に説明しているのか、確かめる気力すら湧かない。
目の前の光景が歪曲し、視界に極彩色の波紋が広がる。
少女の説明は続いた。
「下手に理性を保とうとか考えると苦しいだけだが……どんなに抵抗しても、そのうち必ずブッ飛ぶ。そうなりゃ、気持ちよくなることしか考えられねぇ奴隷の出来上がりさ」
可憐な声が頭の中で響き、その言葉に扇動されるように肉体が反応を示す。
触れてもいないのに股間が濡れ、乳首が立ってきた。
(う、うそ……いやっ!)
恥らう気持ちとは裏腹に、全身が急速に疼きだす。
学生時代に一度だけ読んだ、有害図書に出てくる媚薬を使われた気分だった。意思とは関係なく体が肉棒を欲し、理性の砦が崩壊していく。
「だが、このクスリの真骨頂はそこじゃねえ」
ブレザーのポケットをまさぐり、少女が新たな注射器を取り出す。
純恋を見下ろしたまま、彼女は少しもためらうことなく、針の先端を自分の首筋に突き立てた。
「なっ……なにを……!」
「ふ、ふふ……」
注射器を放り捨てた小さな手が純恋の頬を覆い、鼻先が触れ合うほど近い距離に少女の昂揚した顔が迫る。
熱に浮かされた瞳が、まっすぐに見つめていた。
「はぁ、はぁ……んちゅっ、ちゅぅうっ」
「んんぅーーーーッ」
熱い息がかかったと思った瞬間、柔らかい感触が唇を包み込む。
少女に、キスをされている。
初めて交わす同性とのキスは、男とのそれよりもずっと柔らかい。こみあがる快楽に痙攣していた唇が優しく押し広げられ、口腔内に肉厚な舌が差し込まれる。
舌先があっという間に純恋の舌を絡めとり、口端からヨダレとともに艶かしい吐息と、そして粘液のかき混ぜる水音が溢れ出た。
「んふっ、んぢゅ、ぢゅ、ちゅ、ぁ、ふぅっ!」
「んんっ。ちゅ、むちゅっ、んん、ちゅぷ。ぷぁっ」
唇と嬌声を重ね合わせるたびに、心までとろけていくようだった。
希薄になりつつある意識が警察官としての誇りも忘れ、ひとつの思いに捉われる。
(したい……気持ちよく、なりたい……!)
純恋は自分からも少女を求め、舌を動かしていた。
卑猥な水音が一段と大きくなり、心地良さに全身が犯される。いつの間にか自由になっていた両腕を少女の肩に回し、密着度を高める。
同性愛のケなど純恋にはもちろんない。それなのに、目の前の少女が欲しくて欲しくてたまらなかった。
「ぢゅうっ、ンンッ、ふちゅっ、んぱっ、んふぅ!」
目の前の景色が白み、自分自身の輪郭すらあやふやになる。
体の火照りがますます加速し、気持ちよくなることしか考えられない。
有害図書の展開そのままだ。媚薬を使われ、下品に淫れ、最後はオモチャのように弄ばれるに違いない。
そして今の彼女は、むしろそんな未来こそ望んでいた。
想像をするだけで子宮が疼き、下半身が震える。
「あひぇ! ふぁう! ううううぁっ!」
濁流のような快感に意識が呑み込まれ、くぐもったキスの音色が賑やかな喘ぎ声にとって代わる。
このまま、キスだけでイってしまいそうだった。
「も、もう、ちゅっ、ちゅぱっ、だめ……んぢゅるっ! イク、いっちゃうぅっ!」
嬌声を響かせ、恋人ともしたことのない激しいディープキスを見知らぬ少女と交わし、一気に上り詰める。
そのはずだった。
「んくぅううう!?」
絶頂を味わうつもりでいた意識が、予想だにしなかった快楽に襲われた。
上り詰めたはずなのに、頂上を飛び越えてしまったような感覚。達成感を得られないまま絶頂の波が引き、代わりに甘い痺れと快感の余韻に全身が包み込まれる。
「あっ、はあっ!? ど、どう、して……あああうっ!」
戸惑いを含んだ艶めかしい声は淫らで、それでいて可憐だった。女の声には違いないが、どこか違和感を覚える。
比喩ではなく、自分のものではないような声。それに、快楽の余波とは別にやけにカラダが重く感じる。
「は、はぁ……! ……くっ……ふふっ」
吐息が鼻先にかかり、目の前で女が妖艶な微笑みを漏らす。
こぼれたヨダレもそのままに唇を歪ませるその顔は、『堀末純恋』のものだった。
「わた……し!?」
『純恋』の姿をした誰かは驚く純恋を突き飛ばし、密着していた体を離す。
尻餅をついた肉体をおそるおそる見下ろすと、見覚えのある学生服を着ていた。カーキ色のブレザーと肩を流れる長い黒髪が、現実を受け入れろと主張している。
少女と自分の体が入れ替わっているという、嘘のような現実を。
「なん……で、うぐっ!?」
荒れ狂うほどの快感もすっかり消え失せ、残ったのは恐怖と戸惑いだけだった。
頭の中が疑問符でいっぱいになり、それらを無理矢理ねじ伏せるような強烈な蹴撃が視界を揺さぶる。
軽々と体が吹っ飛び、アスファルトの上を転がる。雑居ビルの壁に背中を打ちつけ、先ほどとは真逆の意味で明滅する視界が痩せぎすの男を捉えた。
「おいおい。さっきまで俺の体だったのに容赦ねぇな」
「……申し訳ありません」
『純恋』と痩せぎすの男が、まるで雇い主と部下のような会話をする。
「あ、あなたたちは……いったい……あぅっ!」
説明を求めて開いた口は、悲鳴に塗りつぶされてしまった。
蛍光色ヘアの男にあごをつかまれ、無理矢理上半身を起こされる。
男の目はギラギラと輝き、少女になった純恋のカラダをなめ回すように見ていた。
「ひひひ、アニキぃ、もうこのオンナやっちゃっていいすよね」
タトゥーをびっしりと彫った腕で少女になった純恋のカラダを抱きすくめ、男が下劣な笑い声を上げながら『純恋』に尋ねる。
純恋の体を奪った元少女は、呆れたような顔でため息をこぼした。
「物好きなやつだ。薬でボロボロの女を抱きたいなんてな」
薬……ボロボロ……?
全身を包み込む疲労感の理由が示唆された気がして、血の気が引く。まさか、このカラダは……。
「アニキが使っている時に手出しなんかできねぇしなぁ。……上玉には違いねぇっすよ。なんせ、あのお嬢様校の生徒っすから」
言葉尻に不快な笑い声を付け足し、二本の手が見慣れない純恋の体を這いまわる。
痩せぎすの男は沈黙を保ち、スーツ姿の男は相変わらずおろおろしていた。
「あ、あの……私のクスリは……」
「あいにく、いま使ったので全部だ。また連絡する」
「そ、そんな! 契約違反だ!」
「……っせーなぁ」
聞こえよがしに舌打ちをすると、『純恋』はホルダーから銃を引き抜き、男の眉間に突き付けた。
「なんなら、この場で逮捕してやろうか? 今の俺は、正義のオマワリサンだからなぁ」
引き金に指をかけたまま撃鉄を下ろし、一般市民を拳銃で脅迫する。
そんな元・自分の姿を、直視などとてもできなかった。
(やめて……やめて……! お願い……、もうやめて!)
身体は男に弄ばれ、目の前では他ならぬ自分が誇りある職業の制服を着たまま犯罪行為をしている。
何ひとつとして自由にならない状況に、心が大きくひび割れていくようだった。
「助けて! 誰かんんんっ!」
唇が男の口で塞がれ、一縷の望みを託した悲鳴も不発に終わる。
薬の効果は完全に切れたのか、今度のキスは気持ちよくもなんともない。ざらついた舌の感触や流し込まれる他人の唾液に、吐き気すら覚える。
「んくっ、んんふっ、あぷっ、むぅっ……んっ!」
忌避感でいっぱいの喘ぎ声はそれでも可憐で、いやらしい。
乱暴に胸を揉まれ、スカートの中に手を入れられる。意思とは裏腹に、濡れているのが自分でもわかった。
「堀末純恋……これが俺の名前か」
警察手帳を手のひらで弄び、『純恋』が口角を吊り上げる。
「警官の立場を使えば、仕事も楽にいけそうだ」
「……では、学園市場はいかが致しますか?」
「それも続ける。新しい販売員と生徒のカラダを調達してな」
痩せぎすの男と会話をしながら、『純恋』は気絶した巡査部長の手錠を外し、肩に担いだ。
「じゃあな、オワマリサン。せいぜい捕まらないよう気をつけな」
「ま、まって……んんっ!」
男のペニスが侵入し、またも嬌声に遮られる。
挿入されるまで、まったく気づかなかった。
「ゆるっゆるだなぁ、この腐れビッチ! 今まで何人の男とヤッたんだ、あぁん?」
「し、しらな……あぅっ!」
体の中を出入りする異物感にうちひしがれ、遠ざかる『自分』の背中を見送る。
絶望の中で行われる男女の交わりは、夜明けまで続いた。

[PR]
