メイドと栞と退屈な書斎 完
放置しておくといつ終わるかわかったものではないので
今回で最後です。打ち切りです。楽しんでいただけた方には大変申し訳ありません
謎の男にそそのかされ、異世界を渡り歩く力を得た主人公の憑依物語です。
最終頁「退屈な書斎」
なにもかも順調だった。
「お姉ちゃん、どうして……いやああああ!」
人々を陰ながら守る陰陽師姉妹の片割れを無力化し、化け物どものエサにした。
「そんな……約束しただろ。故郷には手を出さないって!」
要塞都市に侵入したスパイを寝返らせ、故郷を焼き払った。
「ど、どうして緊急停止プログラムが作動しないの! いや、やめなさい!」
「申し訳ありませんマスター。ボディが制御不能です」
天才科学者と従者のメイドロボットに、淫靡な肉体関係を結ばせた。
憑依の力には誰も逆らえなかった。絶望的な状況を覆すべく女神から力を授かった【英雄】たちが、悪意の前になすすべなく翻弄されていく様は、マルクからしばらく退屈を忘れさせた。
だがそれにも間もなく飽きてきた。
最初こそ万能感に酔いしれ、彼らの絶望の声を愉しんでいたが、いつしか組織のボスとして君臨していた頃と同じ退屈な気持ちだけが積み重なっていくようになった。
数をこなすにつれ虚しさが増す。思いやりを踏みにじり信頼を裏切る行為が、快感と結びつかない。
「おめでとう、マルク。君のおかげで、女神の力はほとんど失われたよ」
「……そうか」
書斎世界に戻ると、丸眼鏡の男はそう言った。
傍らには、先ほどまでいた世界でも見かけたメイドロボットがいる。彼女は赤い瞳を丸眼鏡の男と同じように細めていた。
「テイミー」
「は、はい。何でしょうマルク様」
「なぜ、君は協力している?」
コンピューターが人類を支配し、奴隷のように扱う世界。そんな状況を覆そうと、一人の天才科学者がシェルターで日々研究をしていた。
科学者が独自に完成させたメイドロボットは、世界を統べるマザーコンピューターの管轄外であり人類に味方する数少ない機械だった。テイミーは複数いたメイドロボットの一体であり、彼女の姉妹機を利用してマルクは科学者を陥れたのである。
事件のあと、丸眼鏡の男がテイミーを書斎世界に呼び寄せたらしいが……。
「君の世界を壊した我々を恨んでいないのか?」
「……望みを叶えてくれると、ご主人様が仰ったからです」
「望み?」
「女神の力で、新しい世界を作っていただくのです。マザーコンピューターなど最初から存在しない、私とマスターが穏やかに暮らせる世界を」
そのためならば姉妹や主人を裏切ることもいとわないという。誰かのために、あえて茨の道を進む。そんな前向きな悪意があることにマルクは驚きを隠せなかった。
「叶うとも! あとはもう、女神から力を頂くだけだ!」
丸眼鏡の男は声を張り上げ、書斎の奥へと歩き出した。
マルクとテイミーも後に続き、三人分の足音が左右の書棚に吸い込まれていく。
誰一人無駄口をきくことなくしばらく進むと、巨大な扉が行く手を阻んでいた。
「この扉の向こうが女神の住まう世界。理想郷【フェアラーク】だ」
無骨な鉄扉は、そうと言われなければ壁だと信じ込んでしまいそうなほど高く、容易には開けない重厚感がある。
「……こんな近くにあったのか」
「この書斎世界も神の世界には違いないからね。一応隣り合ってはいたんだが、女神が万全なら扉の存在すら認識できなかっただろうさ」
男はそういいながら、扉に手をかける。ドアノブのない巨大な二枚戸は、見た目とは裏腹にまるで張子のように音もなく押し開かれていった。
隙間から漏れた閃光が薄暗い書斎世界に差し込む。
痛いほどの白に視界を埋め尽くされたまま歩を進めると、書架ではなく木々の生い茂る光景が広がっていた。
大森林の中央にそびえる高い塔。その最上階に、光に包まれた【女神】がいた。
美しい女だった。しかし異世界でマルクが出会った美女達の美点を全てかき集めたような、作り物めいた顔立ちにも感じる。
女神は伏せていたまぶたをゆっくりと開き、エメラルドの瞳で丸眼鏡の男を見つめた。
「……あなたは愚かです」
透き通った女神の声が、深い悲しみの色を滲ませながら続ける。
「あなたは退屈を嫌っていますが、それは心にゆとりがあるから感じるのです。ゆとりある人生を自ら捨てようなどと、愚か者のすることです」
「ご高説どうも。だが刺激に欠けた暮らしなど墓で眠っているようなものだ」
「……愚かな」
女神は再びまぶたを下ろし、沈黙した。はなから説得できるとは考えていなかったらしい。
眼鏡のフチを指先で押し上げながら、男が振り返る。口端を吊り上げ、大仰な身振り手振りでマルクをけしかけた。
「さあ! この女から奪いたまえ! 女神の能力を、創造神の立場を、美しき肉体を!」
「……そうだな」
マルクは女神に近づき、彼女の全身を覆う光の繭をすり抜け、カラダを重ね合わせる。
抵抗はなかった。
「うっ……あ……」
これまでと同じように、小さな呻き声を上げ、女体が痙攣した。
同時に、記憶が流れ込んでくる。創造神として誕生し、これまで奪い取ってきた人生を掛け合わせてもまだ遠く及ばない女神の過去を、一瞬で追体験する。
精神が押しつぶされそうな衝撃が走り、しかしそれもすぐにおさまった。
マルクは女神としての知識を得、自我を保ったまま『女神・アウトア』の意識を吸収しつくす。
(……こんなもの、か?)
世界を創る神ともあろう者が悪党に負けるはずがない。憑依の力がいかに強力であれ、一時的にカラダを奪われたとしても必ず状況は覆される。
そう期待していたのに、アウトアの記憶に残っていたのは諦観だった。
敗北することを受け入れていた。力の大半は失われ、憑依に抗う手立ても残されていなかったことがわかってしまう。
永久に身体の主導権がマルクのものになることも、こうなる前に男を処分できなかった理由も、すべて女神の知識と記憶が教えてくれた。
なんともあっけない幕切れだった。
「……つまらない」
「ははははっ! はーはははは! やった! ついにやったぞ! これで世界は変わる! 犯し、恨み、裏切り、優しさを踏みにじる、悪意で満たされた刺激的な世界のはじまりだ!」
マルクの呟きは、興奮する男の哄笑にかき消された。
世界を操る立場に酔いしれ、愉悦に満ちた笑みを浮かべている。
だがマルクには、何が面白いのかわからない。
馬鹿笑いが耳障りですらあった。
「消えろ」
子供のようにはしゃぐ丸眼鏡の男に、マルクは何の感情もない声で告げる。
その瞬間、砂がこぼれるように男が指先から崩れていった。
「は? おい、ちょっと待ってくれ……え? 何をしているんだ、マルク」
「……これのどこが、退屈とは無縁の人生だ?」
「な、何を言っている! 女神の体だぞ。創造神の力だぞ! 何もかもが望みのままになることの、どこが退屈だ!」
両腕を失い、両脚を失い、虫のように地面に這いつくばりながら男は激昂する。
しかしその言葉はマルクの心を上滑りするだけだ。
「そういうのは飽きたんだ」
なおも砂塵と化していく男を見下ろし、この状況から逆転してくれることを期待する。
神の端くれならば、可能性がないはずがない。
「さあ……君の運命を覆してくれ」
「やめろ……やめてくれ、止めてくれ姉さんッ!」
出てきたのは、いつもの余裕を失った惨めな命乞いの言葉だった。
「弟」の悲痛な叫び声に胸が痛む。今すぐ肉体を再構築し、「ごめんね」と謝りたい衝動に駆られる。
女神自身でしか味わえない心優しい気持ちを咀嚼した上でマルクは吐き捨て、男を一息に消滅させた。
砂粒よりも小さく分解された男は、身じろぎ程度の微風で霧散する。
男のいた場所には丸眼鏡だけが残されていたが、それもすぐにサラサラと崩れ散っていった。
「……ゲームオーバー」
女神の弟ならばあるいはとの期待も虚しく、たった一人の家族を失った「アウトア」の悲しみが去来する。
自分のものではない感傷を味わいながら、マルクはこの場に残った少女を振り返った。
「テイ……ミー」
メイドロボットは、笑っていた。
たった今起こったことを理解していないはずがないのに、彼女は微笑みを浮かべている。
テイミーは、嗜虐心をそそる臆病な態度を取りながら、その実危機感を抱くこともなければ人死ににも頓着していない。これまでの交流でそのことを何となく感じていたが、ここにきてようやくその確信が持てた。
人の悪意に関心を持たない機械人形は、いったいどのような世界を夢見るのか。マスターとの平穏な世界を作った、そのあとは?
女神の知識をもってしても、それはわからない。
「そうだな……ならば君に女神の力を譲ろう」
「私に、ですか?」
自分を指差し驚いた顔をする少女に向けて、マルクは発言を封じるように手のひらをかざした。
「あの……そんな事が出来るのでしょうか」
「出来るさ。だが、神の力を失うと同時にこの肉体は消滅する」
「マルク様も、死んでしまわれるのですか」
「その通りだ」
女神の力をすべて失った「アウトア」が進む先は、消滅だ。
それはマルク自身の消滅でもあるが、彼に生への執着はなかった。
(これで、退屈から解放される)
女神の肉体など、マルクにとって牢獄にも等しい。こんな身体は不要だ。
かといって、絶大な力を持ちながら自分に反旗を翻した弟を処分できないアウトアに身体を返すつもりはない。
だからマルクは、テイミーに全て押し付ける。
非情になれない現創造神を排除し、なおかつ自分の退屈な人生を終わらせる最善手を取ったのだ。
「結局は、自分で幕引きをするわけだ……」
自分の予想が覆されることに悦びを見出す男は、己の存在感が失われていくのを感じながら、そうぼやいた。
計画が遂行され、目標を追い詰め、しかしあと一歩のところで逆転される。
運命を覆す立場ではなく、覆される存在として散る。絶望を与える側から味わう側に立たされる。その瞬間を、マルクはずっと待っていた。
破滅願望とでも言うべき衝動は最後まで満たされることないまま、すべてが終わろうとしている。
「……本当につまらない」
そう言い残し、神を神足らしめる力をすべてを失った女神アウトアの肉体は霧のように消え。
退屈に倦んでいた男の魂も、もろともに消滅した。
「……どういう、ことだ?」
マルクが目が覚めると、そこは見覚えのある書斎世界だった。
顔を上げれば最上段の見えない書棚が星空を突き刺し、視線を下ろせばすっかり見慣れたメイド服と胸の膨らみが確認できる。
「俺は、消滅したはずでは……」
「私が再構築しました」
砂糖菓子のような声につられて振り向く。
紺と白を基調としたオーソドックスなメイド服を身にまとう亜麻色髪の少女が、緩まった赤い目で見つめていた。
彼女の傍らにはティーポットとカップが並べられたテーブルがあり、バスケットからはクッキーの甘い香りが漂っている。まるでこれから茶会でも開くかのようなセットだった。
「おかえりなさいませ、マルク様」
スカートの端を両手でつまみ、頭を下げる姿勢はメイドというよりは貴婦人の佇まいだ。女神の力を得た影響か、臆病な印象がすっかり消えている。
「いったい何のつもりだ。なぜ俺を生き返らせた? 君は、君の世界を作り直すのではなかったのか?」
「もう終わりました。今も、私が作った本の中で「テイミー」とマスターは幸せに暮らしています」
あくまでも穏やかな声で、ですが、とテイミーは続けた。
「マスターだけでなく、私は私と関わった全てのご主人様に尽くすべきだと思うのです。……たとえば」
思案する素振りもなく、テイミーは素手でマルクの胸を貫いた。
距離が消えたような、時間が抜き取られたような一瞬の出来事だった。血に染まった少女の腕が背中を突き破り、書棚に血痕が飛び散る。
「がっ……!」
口の中いっぱい日の味がひろがり、遅れて胸の痛みが身を裂く。
「痛いですか? 申し訳ありません。次はもっとうまくやりますね」
(次……だと?)
悪びれた様子もなくテイミーが耳元で囁いた。
全身から力が抜け、戸惑う暇もなく死の淵へと落ちていく。
マルクは絶命し、次に目が覚めるとまたしてもうず高い書棚を見上げていた。
身体を見下ろしても服や胸に穴は空いていない。まるで時間が逆戻りしたような奇妙な感覚だった。
「このように」
甘い声に振り向くと、お茶会を開くようなテーブルセットの傍らにテイミーが佇んでいた。
「マルク様が死を望まれるのであれば、何度でも殺して差し上げられます。退屈で死にたくなったら、いつでもお申し付け下さい」
「……俺はもう、生き返りたくないといったら?」
「私には、ご主人様が必要ですので」
テイミーが笑う。
マルクの部下が溶けたときも。丸眼鏡の男が炎上したときも。少年が恋人に絞め殺されたときも。騎士が修道女を裏切ったときも。陰陽師の妹が化け物に食われたときも、自分の生みの親が姉妹機に犯されているときも。
女神アウトアと共にマルクが消滅する間際も、必要だと言った「ご主人様」を殺す瞬間でさえも。
彼女は血のような赤い眼で、ひたすら穏やかな微笑みを浮かべていた。
投げやりなオチで申し訳ないです
退屈な男を上手く動かせませんでした…
そしてまた女勝利エンドです。男が勝ったの亡霊犯だけだ。ワンパターン反省
いろいろ未熟すぎますがいずれまた邪悪な長編を作りたいと思います
ここまでお読み頂きありがとうございました
巫
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今回で最後です。打ち切りです。楽しんでいただけた方には大変申し訳ありません
謎の男にそそのかされ、異世界を渡り歩く力を得た主人公の憑依物語です。
最終頁「退屈な書斎」
なにもかも順調だった。
「お姉ちゃん、どうして……いやああああ!」
人々を陰ながら守る陰陽師姉妹の片割れを無力化し、化け物どものエサにした。
「そんな……約束しただろ。故郷には手を出さないって!」
要塞都市に侵入したスパイを寝返らせ、故郷を焼き払った。
「ど、どうして緊急停止プログラムが作動しないの! いや、やめなさい!」
「申し訳ありませんマスター。ボディが制御不能です」
天才科学者と従者のメイドロボットに、淫靡な肉体関係を結ばせた。
憑依の力には誰も逆らえなかった。絶望的な状況を覆すべく女神から力を授かった【英雄】たちが、悪意の前になすすべなく翻弄されていく様は、マルクからしばらく退屈を忘れさせた。
だがそれにも間もなく飽きてきた。
最初こそ万能感に酔いしれ、彼らの絶望の声を愉しんでいたが、いつしか組織のボスとして君臨していた頃と同じ退屈な気持ちだけが積み重なっていくようになった。
数をこなすにつれ虚しさが増す。思いやりを踏みにじり信頼を裏切る行為が、快感と結びつかない。
「おめでとう、マルク。君のおかげで、女神の力はほとんど失われたよ」
「……そうか」
書斎世界に戻ると、丸眼鏡の男はそう言った。
傍らには、先ほどまでいた世界でも見かけたメイドロボットがいる。彼女は赤い瞳を丸眼鏡の男と同じように細めていた。
「テイミー」
「は、はい。何でしょうマルク様」
「なぜ、君は協力している?」
コンピューターが人類を支配し、奴隷のように扱う世界。そんな状況を覆そうと、一人の天才科学者がシェルターで日々研究をしていた。
科学者が独自に完成させたメイドロボットは、世界を統べるマザーコンピューターの管轄外であり人類に味方する数少ない機械だった。テイミーは複数いたメイドロボットの一体であり、彼女の姉妹機を利用してマルクは科学者を陥れたのである。
事件のあと、丸眼鏡の男がテイミーを書斎世界に呼び寄せたらしいが……。
「君の世界を壊した我々を恨んでいないのか?」
「……望みを叶えてくれると、ご主人様が仰ったからです」
「望み?」
「女神の力で、新しい世界を作っていただくのです。マザーコンピューターなど最初から存在しない、私とマスターが穏やかに暮らせる世界を」
そのためならば姉妹や主人を裏切ることもいとわないという。誰かのために、あえて茨の道を進む。そんな前向きな悪意があることにマルクは驚きを隠せなかった。
「叶うとも! あとはもう、女神から力を頂くだけだ!」
丸眼鏡の男は声を張り上げ、書斎の奥へと歩き出した。
マルクとテイミーも後に続き、三人分の足音が左右の書棚に吸い込まれていく。
誰一人無駄口をきくことなくしばらく進むと、巨大な扉が行く手を阻んでいた。
「この扉の向こうが女神の住まう世界。理想郷【フェアラーク】だ」
無骨な鉄扉は、そうと言われなければ壁だと信じ込んでしまいそうなほど高く、容易には開けない重厚感がある。
「……こんな近くにあったのか」
「この書斎世界も神の世界には違いないからね。一応隣り合ってはいたんだが、女神が万全なら扉の存在すら認識できなかっただろうさ」
男はそういいながら、扉に手をかける。ドアノブのない巨大な二枚戸は、見た目とは裏腹にまるで張子のように音もなく押し開かれていった。
隙間から漏れた閃光が薄暗い書斎世界に差し込む。
痛いほどの白に視界を埋め尽くされたまま歩を進めると、書架ではなく木々の生い茂る光景が広がっていた。
大森林の中央にそびえる高い塔。その最上階に、光に包まれた【女神】がいた。
美しい女だった。しかし異世界でマルクが出会った美女達の美点を全てかき集めたような、作り物めいた顔立ちにも感じる。
女神は伏せていたまぶたをゆっくりと開き、エメラルドの瞳で丸眼鏡の男を見つめた。
「……あなたは愚かです」
透き通った女神の声が、深い悲しみの色を滲ませながら続ける。
「あなたは退屈を嫌っていますが、それは心にゆとりがあるから感じるのです。ゆとりある人生を自ら捨てようなどと、愚か者のすることです」
「ご高説どうも。だが刺激に欠けた暮らしなど墓で眠っているようなものだ」
「……愚かな」
女神は再びまぶたを下ろし、沈黙した。はなから説得できるとは考えていなかったらしい。
眼鏡のフチを指先で押し上げながら、男が振り返る。口端を吊り上げ、大仰な身振り手振りでマルクをけしかけた。
「さあ! この女から奪いたまえ! 女神の能力を、創造神の立場を、美しき肉体を!」
「……そうだな」
マルクは女神に近づき、彼女の全身を覆う光の繭をすり抜け、カラダを重ね合わせる。
抵抗はなかった。
「うっ……あ……」
これまでと同じように、小さな呻き声を上げ、女体が痙攣した。
同時に、記憶が流れ込んでくる。創造神として誕生し、これまで奪い取ってきた人生を掛け合わせてもまだ遠く及ばない女神の過去を、一瞬で追体験する。
精神が押しつぶされそうな衝撃が走り、しかしそれもすぐにおさまった。
マルクは女神としての知識を得、自我を保ったまま『女神・アウトア』の意識を吸収しつくす。
(……こんなもの、か?)
世界を創る神ともあろう者が悪党に負けるはずがない。憑依の力がいかに強力であれ、一時的にカラダを奪われたとしても必ず状況は覆される。
そう期待していたのに、アウトアの記憶に残っていたのは諦観だった。
敗北することを受け入れていた。力の大半は失われ、憑依に抗う手立ても残されていなかったことがわかってしまう。
永久に身体の主導権がマルクのものになることも、こうなる前に男を処分できなかった理由も、すべて女神の知識と記憶が教えてくれた。
なんともあっけない幕切れだった。
「……つまらない」
「ははははっ! はーはははは! やった! ついにやったぞ! これで世界は変わる! 犯し、恨み、裏切り、優しさを踏みにじる、悪意で満たされた刺激的な世界のはじまりだ!」
マルクの呟きは、興奮する男の哄笑にかき消された。
世界を操る立場に酔いしれ、愉悦に満ちた笑みを浮かべている。
だがマルクには、何が面白いのかわからない。
馬鹿笑いが耳障りですらあった。
「消えろ」
子供のようにはしゃぐ丸眼鏡の男に、マルクは何の感情もない声で告げる。
その瞬間、砂がこぼれるように男が指先から崩れていった。
「は? おい、ちょっと待ってくれ……え? 何をしているんだ、マルク」
「……これのどこが、退屈とは無縁の人生だ?」
「な、何を言っている! 女神の体だぞ。創造神の力だぞ! 何もかもが望みのままになることの、どこが退屈だ!」
両腕を失い、両脚を失い、虫のように地面に這いつくばりながら男は激昂する。
しかしその言葉はマルクの心を上滑りするだけだ。
「そういうのは飽きたんだ」
なおも砂塵と化していく男を見下ろし、この状況から逆転してくれることを期待する。
神の端くれならば、可能性がないはずがない。
「さあ……君の運命を覆してくれ」
「やめろ……やめてくれ、止めてくれ姉さんッ!」
出てきたのは、いつもの余裕を失った惨めな命乞いの言葉だった。
「弟」の悲痛な叫び声に胸が痛む。今すぐ肉体を再構築し、「ごめんね」と謝りたい衝動に駆られる。
女神自身でしか味わえない心優しい気持ちを咀嚼した上でマルクは吐き捨て、男を一息に消滅させた。
砂粒よりも小さく分解された男は、身じろぎ程度の微風で霧散する。
男のいた場所には丸眼鏡だけが残されていたが、それもすぐにサラサラと崩れ散っていった。
「……ゲームオーバー」
女神の弟ならばあるいはとの期待も虚しく、たった一人の家族を失った「アウトア」の悲しみが去来する。
自分のものではない感傷を味わいながら、マルクはこの場に残った少女を振り返った。
「テイ……ミー」
メイドロボットは、笑っていた。
たった今起こったことを理解していないはずがないのに、彼女は微笑みを浮かべている。
テイミーは、嗜虐心をそそる臆病な態度を取りながら、その実危機感を抱くこともなければ人死ににも頓着していない。これまでの交流でそのことを何となく感じていたが、ここにきてようやくその確信が持てた。
人の悪意に関心を持たない機械人形は、いったいどのような世界を夢見るのか。マスターとの平穏な世界を作った、そのあとは?
女神の知識をもってしても、それはわからない。
「そうだな……ならば君に女神の力を譲ろう」
「私に、ですか?」
自分を指差し驚いた顔をする少女に向けて、マルクは発言を封じるように手のひらをかざした。
「あの……そんな事が出来るのでしょうか」
「出来るさ。だが、神の力を失うと同時にこの肉体は消滅する」
「マルク様も、死んでしまわれるのですか」
「その通りだ」
女神の力をすべて失った「アウトア」が進む先は、消滅だ。
それはマルク自身の消滅でもあるが、彼に生への執着はなかった。
(これで、退屈から解放される)
女神の肉体など、マルクにとって牢獄にも等しい。こんな身体は不要だ。
かといって、絶大な力を持ちながら自分に反旗を翻した弟を処分できないアウトアに身体を返すつもりはない。
だからマルクは、テイミーに全て押し付ける。
非情になれない現創造神を排除し、なおかつ自分の退屈な人生を終わらせる最善手を取ったのだ。
「結局は、自分で幕引きをするわけだ……」
自分の予想が覆されることに悦びを見出す男は、己の存在感が失われていくのを感じながら、そうぼやいた。
計画が遂行され、目標を追い詰め、しかしあと一歩のところで逆転される。
運命を覆す立場ではなく、覆される存在として散る。絶望を与える側から味わう側に立たされる。その瞬間を、マルクはずっと待っていた。
破滅願望とでも言うべき衝動は最後まで満たされることないまま、すべてが終わろうとしている。
「……本当につまらない」
そう言い残し、神を神足らしめる力をすべてを失った女神アウトアの肉体は霧のように消え。
退屈に倦んでいた男の魂も、もろともに消滅した。
「……どういう、ことだ?」
マルクが目が覚めると、そこは見覚えのある書斎世界だった。
顔を上げれば最上段の見えない書棚が星空を突き刺し、視線を下ろせばすっかり見慣れたメイド服と胸の膨らみが確認できる。
「俺は、消滅したはずでは……」
「私が再構築しました」
砂糖菓子のような声につられて振り向く。
紺と白を基調としたオーソドックスなメイド服を身にまとう亜麻色髪の少女が、緩まった赤い目で見つめていた。
彼女の傍らにはティーポットとカップが並べられたテーブルがあり、バスケットからはクッキーの甘い香りが漂っている。まるでこれから茶会でも開くかのようなセットだった。
「おかえりなさいませ、マルク様」
スカートの端を両手でつまみ、頭を下げる姿勢はメイドというよりは貴婦人の佇まいだ。女神の力を得た影響か、臆病な印象がすっかり消えている。
「いったい何のつもりだ。なぜ俺を生き返らせた? 君は、君の世界を作り直すのではなかったのか?」
「もう終わりました。今も、私が作った本の中で「テイミー」とマスターは幸せに暮らしています」
あくまでも穏やかな声で、ですが、とテイミーは続けた。
「マスターだけでなく、私は私と関わった全てのご主人様に尽くすべきだと思うのです。……たとえば」
思案する素振りもなく、テイミーは素手でマルクの胸を貫いた。
距離が消えたような、時間が抜き取られたような一瞬の出来事だった。血に染まった少女の腕が背中を突き破り、書棚に血痕が飛び散る。
「がっ……!」
口の中いっぱい日の味がひろがり、遅れて胸の痛みが身を裂く。
「痛いですか? 申し訳ありません。次はもっとうまくやりますね」
(次……だと?)
悪びれた様子もなくテイミーが耳元で囁いた。
全身から力が抜け、戸惑う暇もなく死の淵へと落ちていく。
マルクは絶命し、次に目が覚めるとまたしてもうず高い書棚を見上げていた。
身体を見下ろしても服や胸に穴は空いていない。まるで時間が逆戻りしたような奇妙な感覚だった。
「このように」
甘い声に振り向くと、お茶会を開くようなテーブルセットの傍らにテイミーが佇んでいた。
「マルク様が死を望まれるのであれば、何度でも殺して差し上げられます。退屈で死にたくなったら、いつでもお申し付け下さい」
「……俺はもう、生き返りたくないといったら?」
「私には、ご主人様が必要ですので」
テイミーが笑う。
マルクの部下が溶けたときも。丸眼鏡の男が炎上したときも。少年が恋人に絞め殺されたときも。騎士が修道女を裏切ったときも。陰陽師の妹が化け物に食われたときも、自分の生みの親が姉妹機に犯されているときも。
女神アウトアと共にマルクが消滅する間際も、必要だと言った「ご主人様」を殺す瞬間でさえも。
彼女は血のような赤い眼で、ひたすら穏やかな微笑みを浮かべていた。
投げやりなオチで申し訳ないです
退屈な男を上手く動かせませんでした…
そしてまた女勝利エンドです。男が勝ったの亡霊犯だけだ。ワンパターン反省
いろいろ未熟すぎますがいずれまた邪悪な長編を作りたいと思います
ここまでお読み頂きありがとうございました
巫

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